人というのは、自分の見たいものだけ見て、聞きたいものだけ聞く、というクセがある。
視界に映っていても、必要でなければ認識すらしない。
聞いていても、必要ないと判断すれば、右から左に聞き流している。
そんなものである。
なので、人は何か失敗したり、上手くいかないことがあった時に、初めてアドバイスを聞くようになる。
それでも聞かなければ、まあそれまでなのだが、アドバイスというのはタイミングが大事、ということである。
人によっては、最初に言ったからといって、そのアドバイスを守るわけではなく、自分なりのやり方で挑戦して失敗してしまったりする、
その時初めて、ああ、こんなことを言われていたっけ、と反省することで、アドバイスの価値を知る。
本来であれば、一番最初に言われた時にアドバイスを聞けていれば良いのだが、大体アドバイスをされる側なんていうのは、若くて経験未熟だったり、他業種からの転職だったりで要らぬプライドが邪魔をするものである。
結局、素直に人の話を聞ける人というのが、一番成長出来る。
上の立場として厄介なのは、その場の勢いや、思ったことで発言の内容がコロコロ変わる人、あとは何も言わずにやらせといて、失敗した後で、「やっぱり失敗すると思った」と言ってくる人だ。
自分は上手く出来る方法を知ってました、ということを主張したいのであろうが、そんなことを言われた方はたまったもんではない。
聞かれなかったから言わなかった、とも言えるけれども、そもそもそんなこと言わなくても良いのである。
その裏の意図は、ちゃんと相談すれば良かったのに、とか、自分は正解を知ってるんだよ、みたいなことだとして、主張の仕方がおかしいのである。
「こうすれば良かったかもね」とか、「次、また頑張ろうね」とか、そんなもんでいいのである。
自分の正当性は、あまり主張しても、意味がない。
寄り添ってくれるかどうか、それがアドバイスを聞けるようになる、1つの目安になる。
さて、結論として、アドバイスというものの価値であるが、受け取る方も準備が出来ていないと、きちんと受け取ることが出来ない。
アドバイスする方も、うまくタイミングを見つけないといけない。
なんだか平行線のままであるが、最終的には思い遣りの話になってくる。
例えば、勉強が捗るためのアドバイス。
仕事がうまく回るためのアドバイス。
人生が好転するためのアドバイス。
何かで失敗しないためのアドバイス。
人間関係が円滑に進むためのアドバイス。
老後の暮らしに対するアドバイス。
どれも、知らなくてもどうにかなることではあるが、苦労する羽目になるかもしれない。
その人の人生を思えばこそ、思い遣りの気持ちがあればこそ、アドバイスが出てくるものだ。
それを受け取るも受け取らないも自由ではあるが、自分のことを心配して言ってくれているのだから、少しくらい聞いてもバチは当たらないだろう。
そうやって、思い遣りのやり取りだと思えば、多少のズレは気にならないと思う。
自分の経験としては、だが。
あくまでアドバイスはその人の経験が元になっていたりするから、鵜呑みもよくない。
ただ、思い遣ってくれているのだと思って、多少の嫌味にも感謝の気持ちで挑めれば、人生的には勝ちなんじゃないかと思う、今日この頃であった。