心も時間もギリギリだった私にもできた
1日10分親子の愛ある英会話で
しかめ面が笑顔に変わる
アットホーム留学 はなさわあや です♡
ギリママを応援中!
✳︎ギリママとは?
時間にも気持ちにも余裕がなくて、いつもギリギリでイライラしてるママの事。
(自己紹介はこちら)

ブログでお伝えするなんて恥ずかしくて無理!を打破して😁
「はなさわあやってどんな人?」
をお伝えしています。
お付き合いいただけたら嬉しいです。
前までのお話はこちら↓
2年生を迎える少し前に引っ越し、
おかえりと言ってくれる理想のママを手に入れた私。
憧れだった初のケーキ作りを一緒にしていた時のこと。
電話が、なったんです。
その時の母の動揺とただならぬ様子は
今でも、はっきりと覚えています。
祖母が倒れた。
千葉の家と墨田区の自宅兼職場を行き交い
職場では経理の仕事を一手に担い、
みんなからハッスル婆ちゃんと
呼ばれるほど元気な50代でした。
厳しくて、仕事をしている時は怖かったけど。
浅草が大好きで、電気ブランのお店に連れて行き、
両親に内緒で大人の世界を見せてくれたり、
スキップを教えてもらったのもおばあちゃんでした。
すぐに2人の弟は親戚の家に預けられ、
両親や会社の人達がバタバタと動き回る中に私はポツン。
おばあちゃんが好きだった旅行の為の
町内会のスタンプシールを
台紙に黙々と貼っていたのを、今も鮮明に覚えています。
「元気になったらまた旅行に行けるように」と。
数ヶ月の意識不明の後、
なんとか一命を取り留めたものの、半身不随。
しゃべることも、歩くことも、1人で食べることさえも
出来なくなってしまったおばあちゃん。
もちろん町内会の旅行にも、もう行く事は出来ません。
本当に、なんとも言い表す事が出来ない気持ちでした。
引っ越して手に入れた、
家にいてくれる「理想のママ」でしたが、
祖母の病気をきっかけに、
母は職場の経理の代わりに担うことになり、
理想のママは、たった数ヶ月の夢と消えました。
まだ1歳にならない、一番下の弟は保育園に入り、
母はかなりの余裕のないバタバタの毎日に投げ出されました。
私の母こそ、まさにギリママでした!
しっかり物で良い子だった私は、何かと頼りにされました。
当時の私は、母に頼られている嬉しさと、
「お姉ちゃんでしょ」の呪縛、
まだ甘えたい気持ちの間で複雑な心境でした。
普段は良い子。
でも良い子でいることに耐えられなくなると
大泣きして母を困らせ、一通り吐き出すと
また良い子に戻る。
そんな事を繰り返していた時期でした。
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ギリママ代表 アットホーム留学
はなさわ あや






