競争協奏曲
ありがたや、バタバタの連続と反復で!
考えるに、
過去には自身のモチベーションの在り方がわからずに、ずいぶんと遠回りしたり迷ったりした。
そこからいざ近道をみつけてみると、
自身の取扱説明書でも得たかのように
本来落ち込む以外にはあり得ないはずの事象が外部要因としてふりかかろうとも心を取り戻すためのメソッドがわかり、楽できてるとの実感がある。
なによりぼくを悩ましてきたのはその競争意識だった。
あいつよりやってる、あいつより強い、あいつより…。
競争意識は企業でも学校でも切磋琢磨という言葉に置き換えられて向上のメソッドとして使用されているが、これはやはり相手への尊敬あってのもの。
尊敬もなく、誰かと競っては勝ち負けを自分の中で決める、というメソッドは、ともすると自分のフィールドが何かさえ見失う。
ライバルの原理とはまた違い、極めて内向的で、暗いメソッド。
そして何より無意味。
周囲が敵になり、情報開示がしにくくなる分、逆に発信を選択しなくてはならず、結果的にも発信量=自己の外部発信が減る、という悪循環。
これは僕にとっての教訓です。
持っているスキルも含めた情報は必要としているところへ開示することで自身の価値をより感じることもできるし、それが相手にとって有益であればなおさらいい。
情報はMIX、REMIX、RE-EDITして扱うもの。繋げて、また再構築して、情報のリズムパターンをもとにしたり、パターンさえ構築し直したり。
だから発信できる環境をつくることがモチベーションとなる。
そして、その成果を見えるようにすることこそ、プロセスマネジメントの大切なことであり、コンピタンシーマネジメントが重要視される最たる理由なのでは?
モチベーションの下がるようなことが起きたけど、そうはならず、
人事システム構築を僕自身も今経験する中で思い、また感じること。
さあ、発信しましょう!
daily life 熱風
子供のころ、風邪をひいて寝ていると、大抵こんなパラドックスな夢をみた。
間違いなく、当時は間違っていた「とにかく温かく」思想にのっとって、重い重い布団をどっさり乗せられた睡眠の行く末だった。
夢のご都合主義と言えばその通りだが、このパラドックスは後々、意識下の限界点と無意識下の限界点の違いを、または、あぁもう限界!と思うその心とホントの限界との違いを僕に教えてくれていたように思う(たぶん違うけど…)。
限界を手近なところにおいてしまうのはもったいない。
まだまだできる、
まだまだやれる。
ここからはストレスとの闘い。マイナスストレスをプラスストレスに変える闘い。
ストレスは必要。
ストレスなき生活は退屈な生活。
マイナスストレスをなくすために「やる」。そしてやってくる心地よいプラスストレス。途中の行き詰まりからくるマイナスストレスを趣味や飲みで発散しまたストレスに向かう。
大切なのはストレスに耐えることではなく、付き合い方。それを知ること。それがコーピングですね。
それよりもまず…風邪を治そう…。風邪をひいた、からこんな話に…。にしても、病院の薬はこんなにきくなら、薬局に売ってたらいいのに、と思いつつ、今日も会社へ。
iPhoneからの投稿
行動から始まる充満
僕のアタマにあるとされている記憶装置は、恐らくは動くべきスイッチが錆び付いているか、または、あるべきスイッチがないのか、とにかくちょっとやそっとの意識ではまったく意味をなさなず、ただただ五感から入り、特にどこを通ったということもなく毛穴から出て行くだけだ。
例外もある。
ひらめきとは、つまり、僕のなかにある僅かな情報に、今まさにやってきた情報があわさり、言葉は意味へと変わり、ある場に最適な何かに変化した瞬間をいうが、所謂ケミストリーは、僕自身の行動なくしては何にもならない。また、五感から毛穴への短い旅路に終わるだけ。
行動が伴ったときに限りひらめきは僕のひらめきとなる。
知ることはいつだって可能。
知ることだけなら簡単。
わかるために行動する。
わかる、は自分のものにするということだから。
極端ではあります。
意識することで自分のものにできることもありますが、自分が思っている自分像にはいつも希望が含まれているから、弱さをときに包み隠しすぎるきらいがあります。
だから行動する。
セルフマネジメントはもちろん、マネジメントのうえでも、意識より行動を先行させる所以です。
行動が意識へと充満させていくさまを、わかる、または、できる、っていうんです。
さぁ、行動を。
iPhoneからの投稿
悔しさステップ
彼女が泣いた理由は、怒られたからではなく、仕事の責任を放棄せざるを得ないタイムマネジメントである事を当初より理解していながら、自分を自分で隠していたから。
問題行動の原理でいえば、合理化と退避をいっぺんに実行してしまった感じ。
しかし、失敗は成功のもととはよく言ったもので、「悔しい」という感情による涙はネクストステージへと向かう動力源になり得る。
また、積極的にも消極的にも、それを人に伝えることは、「その動力源はガソリンです」と他人に晒すこととなり、適度性の確保は必要なれど、扱いいかんで、プレッシャーという名のプラス作用ストレスに変わってくれる。
マイナスの地点からではあるが、モハメドアリの手法ですね、ある意味。
自らの達成イメージを公表することで、自らにプレッシャーをかけ、
プレッシャーをかけることで、達成可能性の底上げをおこなう。
当然に、こうした場合の上司または仲間またはセルフマネジメントは重要ですね。
ちなみに、ひとつのパターンがないわけではなく、
自分のキャパシティを超えたところに仕事の範囲を設ける人は、
・相談ベタで(ここまでできると誇示したい)、
・そもそもキャパシティがどれほどかみようとせずに可能性にかけて、
・キャパシティと完成度(完璧主義)との狭間に立ちすくんでいて、
・役に立ちたいという想いが強く、
・自分らしさにこそここにいる理由があると考える、
なんてことが往々にしてあると思われる。
そんな人が大好きです、僕は。
ただ、自分が「わからないこと」をわかる努力が必要。わからないことを人に聞けるために。
またモチベーションデザインに少しだけ変革が必要。誘因(目標)のつけ方や、マズローさんがいうところの、もっとも高次の欲求とされる自己実現の欲求の方向性を少しだけ変えてあげる。
自分らしさとは、知っていることの特異性ではなく、もっと根本的な、自分のやれることを知っていて、やれないことも知っていて、それでなお、挑戦する自分なのか、安定供給したい自分なのか、何が好きで何が嫌いなのか、そんなところにある。
だから、まだ知らないことは仕事ができないとはまったく関係のないことだということを知ってもらうこと、または自身が知ることが、こんな時には大切。
悔しさがネクストステージへと押し上げる、そんなタイミングがここにありました。
R対話
互いにいいたい事が溢れだし、とりとめなくなってしまう対話、というものがある。
でもこうした対話の扱いをあやまると、「対話媒体を用いた個々の発想」であって、対話としては成り立っていなかったりしてしまう。
お互いに色々言いあったけど、言いたいだけで終わり、収拾もつかなければ、なんとなく何かを言っただけで、収穫もなく終わってしまう。
少し前だが木曜の夜、帰り際に現場のサービスや生産性、収支マネジメントについて、とりとめもないメソッドやTipsについて止むことなく続くのでは、と思えるほどに同僚としていた。
これはつまり、連想ゲームのようなものだ。
相手の話しから浮かびあがるものを、
自分のフィールドに持ち込み、
付け加え、
または削除し、
または転換して
次の話しへと向かっていく。
好き勝手なことをドンドン言う。
一見、まるで統制のない場。
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僕らは仕事においても、何より先にリサーチやプランにてスタートする。それが、よく知られるセルフマネジメントサイクル。
PDCAのサイクルにより行動をマネジメントする、というもの。
僕はここにRを先行させ、
R-PDCAサイクルとしているが、たぶんどこかで見知ったものだと思う。
R リサーチ
P プラン
D ドゥ
C チェック
A アクション
このR-Pはプロットとも言ってもよく、
サイクル全体像の把握をデザインと言って相違ないと僕は考える。
さてこの日の対話にプランはまだない。それより前に、この対話はある。つまり、自らから溢れ出る言葉をも対象としたリサーチの段階。
その場の2人でマインドマップを描いていく対話。またはブレストをなんのアイテムもなく、付箋もトークボールもなく実施するような対話。そんなものによって、リサーチがすすめられる。
通常、ファシリテーションするものにはテーマがある。問題解決の場合はもちろんそこに問題がある。この対話にもスタートラインがあった。ある問題が発端となっていた。でも、ここで、キレイにその問題ばかりに固執しないほうがよいときもある。新しい発想はある問題から派生したテーマフリーになった状態から生まれることも多く存在する。
そして、
なにより大切なことがひとつだけあって、それは、その場だけの満足で終わらせないということ。
あ~話したなあ、なんとなくお互いの考えもきけたし、言いたいことも言えたなあ、だけで終わらすにはもったいなく、あとからでもいい、「記録」することが重要。その「記録」がリサーチとしての意味は発揮し、次のプランニングのステップに誘ってくれる。
一見、統制なきものだったこの日のこの対話は、僕らにとってリサーチだった。
今、この目の前にある事象が、または自分がおこしていることが、果たしてR-PDCAのどこにあるのかを理解する。理解し、意識することで、僕らは次のステップへと進んでいける。
さあ、次のステップへ!
