初期のプラトンは、「敬虔」や「勇気」といった古代ギリシアの伝統的な徳とは何か、それは教えられるものかどうか、といったことを探求したが、著書の中では直接答えは与えられず、最後には行き詰まり(アポリア)に至る。中期には、世界を目に見える現実の世界「現実界」とその元になる完全にして真実の世界「イデア界」とに分けるイデア論を展開した。
ピュタゴラス学派の思想を学び、とりわけ、幾何学を重んじる思想やオルペウス教的[3]な輪廻転生説の影響を受けた。中期以降、その影響が顕著に見られる。また、パルメニデス等のエレア派にも関心を寄せ、後期対話篇ではエレア派の人物をしばしば登場させている。
プラトンは初めて[要出典]理論的に人間のこころについて考えようとした人物であり、魂の三区分説(『国家』436A、580C-583A、『ティマイオス』69C)を以って、人間のこころの動きを説明しようとした。イデア論に従って霊魂(プシューケー)の不死性の論証を試み(『パイドン』)、一般的な理解では、その思想は人間の霊魂と身体(肉体)を別々の実体として立てる霊肉二元論、ひいてはデカルトらの物心二元論の源流のひとつと見なされている。
プラトンはアテナイ郊外にアカデメイアという名で学校を開設した。プラトンの後継者たるべき、アカデメイアを拠点に活動した人々はアカデメイア派と呼称される。
なお、後述するようにレスリングが得意であったらしい。また、パンクラチオンを「不完全なレスリングと不完全なボクシングが一つとなった競技である」と評したことも知られている。
wikipediaより引用。