「空気を読め」とか、「それは普通じゃない」とか、「そんなの常識だろ」などと言ってしまうとき
言われてしまうときがあります。この発言の中には社会の中にある「暗黙の了解」と言えるものが
あるのではないでしょうか。そんなことを言われてしまったときには、「本当にそうか?」「なんでなんだ?」
と疑うことはできます。でも、疑ったとしてもそういった社会通念には抗うことが難しいです。(僕は)
暗黙の了解とは結構やっかいだと思ってしまいます。
でも逆に、自分が「常識だろ」と人に言ってしまっているときもあります。
暗黙の了解を自分が使って人に伝えている場面です。
相手も自分も納得したものであれば問題はないけれど、
相手か自分のどちらかが、もしくは、両方が納得できないもの、これは恐ろしい。
人を動かす絶望的魔力があるときがあります。
個人間にある暗黙の了解であればよい。話し合うこともできましょう。
しかし社会の中にある暗黙の了解は、無条件で人を動かす魔力があるように思います。
さらに、自分では気づかずに、知らず知らずのうちにこの魔力を使ってしまっている場合。
これはもう悲劇だと思います。
暗黙の中にあるものは、ひも解いてみれば、必ずそれまでの経験と知があるはず。
とくに社会の中にあるものだと、それまでの人類や民族の歴史が潜んでいることがあるように思います。
とにかく、何気にしている言動を、
「それってなんでそうしているんだっけ?」
とちょっと立ち止まって考えてみる時間があればいいなあと思う今日この頃であります。