銀の匙の日々

銀の匙の日々

日々の営みを綴っています。何よりも難しいのは、波乱万丈よりも平凡であり続けることだと思って居ります。

そんな貴重な平凡な日々、日常を綴って居ります。

(=⌒▽⌒=)

人生のんびり行きましょう。




頑張りすぎずに頑張って




無理はしてでも、無茶はダメ。




うさぎではなく、カメのように




長い長い上り坂を、ゆっくりゆっくりと




一歩一歩噛みしめて、前へ前へと進みましょう。




そこに必ず見えてくるものがあるはずです。









 東京都 渋谷駅前 於いて



願わくば


私にまだ少し、伸びしろがあるならば


もう一回、前に一歩出て


そこから一気に上昇する機会をください。











銀の匙


富山氷見市「雨晴らし海岸線」於


「木を見て森を見ず」

「大局を観る」


事象、物事をミクロでこだわることも時として大切であるが、マクロの視点で観ていきたい。



  





銀の匙




渋谷駅周辺 於



「その子二十歳

櫛に流るる黒髪の

奢れる春の久しきかな」


与謝野晶子


妻にも横浜で、この時代を生きた軌跡がある。





銀の匙





渋谷センター街界隈 於


「来し方の

お城の庭に寝転びて

空に吸われし十五の心」


石川啄木


私にも横浜で、この時代を過ごした覚えがある。







銀の匙



横濱中華街 関帝廟通り「横濱中華学院」



「子育てを失敗した」という人がいる。


私は思う。


「子育てに成功も失敗も無いよ」


「なるようにしかならないんだから」


誰もが初めてで、場数は踏めないし、やり直しも効かないのだから。










銀の匙



神奈川県 箱根大涌谷 於



ある人が言った。


「(人は)生きているだけで、それだけで99%幸せだ。」

「人生における苦しみ、苦難、障害は残り1%に過ぎない。」と、


理不尽な理由で「死」を目前に迎えたた人の実感である。


この言葉を聞いた時に目から鱗が落ちた。


誰もが何事もないが人生が当たり前のように生きている。


一度、何か大きな試練が訪れた時、何事もない人生が当たり前ではないことに気付く。


自身がいかに恵まれているかを思い知らされる。


本当に無念な想いを抱えながら、人生を終える時にしか実感できない言葉かもしれない。










銀の匙


光の調和


「デザイン」とは、


自分の頭に描いた創造性、発想を産み出す。


そして思い通りの造形が具現化できた時の喜びだと思う。


その経験値の積み重ねが成功体験へとつながる。


自分自身の人生も同じく、デザインしていく。

そして思い描いたように具現化していく。


それが「キャリアデザイン」ではないだろうか。








銀の匙






人の心の中に、


「達成」とは100%でなければならないという先入観があるように思う。


したがって、100%であると「成功」と喜悦に入る人は多く、100%でないと「失敗」と落ち込む人がいる。


100%という数値でなかった時に、


何がいけなかったのか、何が足りなかったのかと思い悩む人もいる。



ただ、往々にして大概のことは100%でなくても良いことは多い。


98%でも80%でも「達成」


時には65%でも十分という時でさえある。


恐ろしいのは100%でないから、達成出来なかった。完全に失敗だったと思い込んでしまう、そこに自分の限界点を見出してしまうことだと思う。










銀の匙





於 大阪府の由緒正しき図書館



「その人を知るには、先ず靴を見よ」


「その家を知るには、先ず厠を見よ」


グローバルな、多様性の時代に

一概には言えないけど、一理ある深い言葉だと思う。


見えてくるものはあると思う。









銀の匙


4月24日(水)父の命日


70歳で逝く。


突然で心の準備⁈心構えが出来ていず


戸惑ってしまい、狼狽えてしまい、


喪主である母を支えるのが精一杯だった。


何故か、涙が出ず、笑顔でいられた。


不思議であった感覚を今でも覚えている。


葬儀を終え、数日が過ぎ、ホッと一息ついた時に前触れも無くとめどもなく涙が溢れ、嗚咽した。


部屋に誰も居らず、1人になった時、堰を切ったように悲しみが押し寄せた。


自立する際に飲んだくれた父につかみかかったこともあった。


本気で憎んでいた時期もあった。

こんな情けない姿を子供達に見せる父親にはならないと堅く誓ったこともあったように記憶している。


今、父親となり、人生を生きている、月並みだが、父親になり、初めて父親のたいへんさを実感する。


今は、許せる。


感謝も出来る。


父の背中を越えたかったのであろうと今では解る。


遠い遠い昔の話である。










銀の匙