悟りとは

悟りとは

【 詩人 空太 - cuta - 】

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「誰か」という分離した存在がいない状態で、

「何かを書こう」というモチベーションは、どこからくるのだろう。


例えるのなら、

すぐに波で消されてしまう波打ち際に

どうでもいい図形を描くようなものなのだろうか。


誰かに、それを見せようと思っているわけでもなく、

何かを伝えようと思っているわけでもなく。


「書く」という行為が

シンプルにそこに、存在しているという

疑いようのないリアリティ。



「何かを書こう」というモチベーション。


それは確かに存在している。








なぜ生きる?


いやいや、

ぼくらは生まれてもいないし、死ぬこともないんだ。



なぜ生きる?


いやいや、

君は君じゃないし、人間じゃないんだ。




信じないかもしれないけど。






なぜ生きる?



僕らは

命を持っているんじゃない。



僕らは

そう、命なんだ。











なぜ生きる?







それは



本当の



わたしを知るため







本当のわたしとは




ひとつのもの







ひとつのものは



ふたつにならなきゃ



じぶんが見えない






だから




みんな生きている











全体性




それは全てを




含んでいる






目標 希望 夢 達成




思いつくものなら何でも




すでに含んでいる






どうあがいても




分離しようもない




一つの意識が




一つになろうとして




あがいている






そういう意思も




含んでいる






いまの気持ちも




全て




含んでいる
















まさに




この




自分が存在している




という




この意識こそが




本来の私であり




本来のあなたであり




あなたが




獲得しようとしているものである







これは





獲得するものでもなければ





失うことが出来るものでもない







これは





分離しようのない





ただ








これ









である














どんな内容の映画がスクリーンに映し出されようとも


それが終わればスクリーンは再び真っ白に戻る


何の影響も受けようがない



私は映画館のスクリーンのようだ




たまには映画を楽しもう








あおい空




僕は空のにおいに




溶ける







身体もこころも









空になった













僕は空










空のにおい






僕はソライと呼ぶ













そんなのしらないよ











そのとおり