少し自分語りをさせてください。
受験を通じてある境地に至ったのである。
私の通う高校はその地域ではなかなか名の知られた高校であり1年生の頃から受験受験という感じであった。私が本格的に受験勉強を始めたのは2年の冬休みからであった。(もちろん以前から定期テスト等に向けて勉強はしていたのだが、)まず予定を立てた。それも、その時から死ぬまでの壮大な予定だ。ここで私はあることに気づく。普通だ。私の人生は普通なのである。これでいいのか、1年間に17回ほど来る哲学的問いが私の中に生まれた。こうなったら私は早い。この問いの答えを見つける為に旅に出た。(といっても学校を休んで近所をサイクリングするだけの簡単な旅なのだが、)結果は無為、問いに対し答えは見つからなかった。しかし普通とは何かという補題の解は見つけた。それは、その国、その地域においてAまたはBに対し相対数が多い方が普通ということである。例えば、日本において箸を使ってご飯を食べるか否かに対する相対数が多いのは無論前者である。このことは、日本では箸を使って食べることが普通であることを意味する。これが重要な補題であったことは後々わかる。
明日に続く
受験を通じてある境地に至ったのである。
私の通う高校はその地域ではなかなか名の知られた高校であり1年生の頃から受験受験という感じであった。私が本格的に受験勉強を始めたのは2年の冬休みからであった。(もちろん以前から定期テスト等に向けて勉強はしていたのだが、)まず予定を立てた。それも、その時から死ぬまでの壮大な予定だ。ここで私はあることに気づく。普通だ。私の人生は普通なのである。これでいいのか、1年間に17回ほど来る哲学的問いが私の中に生まれた。こうなったら私は早い。この問いの答えを見つける為に旅に出た。(といっても学校を休んで近所をサイクリングするだけの簡単な旅なのだが、)結果は無為、問いに対し答えは見つからなかった。しかし普通とは何かという補題の解は見つけた。それは、その国、その地域においてAまたはBに対し相対数が多い方が普通ということである。例えば、日本において箸を使ってご飯を食べるか否かに対する相対数が多いのは無論前者である。このことは、日本では箸を使って食べることが普通であることを意味する。これが重要な補題であったことは後々わかる。
明日に続く