<追記>パウロ偽使徒論、ヘブル的ルーツ運動、死海文書 | 聖書 書置き板

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聖書を読む人のメモ置き兼ブログ

万一役立ちそうな事があれば、
イエス様を通して父である神にお礼を言っておいてください。

※追記をよくするのでそれはご容赦ください

 

<追記>

・おそらくは死海文書の関連書籍の系統(これはカトリックの陰謀!系やオカルト系?)等が出先?

・おそらくヨハネさんと同じ物が見えてる

・ヤコブさんを殺したのはヘロデ王だが当時のユダヤ教の人も喜び、

 ヘロデ王はペテロさんも投獄(使徒12:2~)

・結論としての全律法遵守は、AD67年前後のペテロさんとパウロさんの殉教後、

 AD70年までの数年に起こったユダヤ教指導者の争いと軍隊に囲まれる様を見て、

 律法を守るのに必要な神殿やその他諸々か、それを捨てて山へ逃げなさいの選択以降、

 長期間不可能かつ、 一時的なのかはさておき地の物は割と危うい位置にある

・神殿の祭具を捨てて逃げたのはなぜか?残って死ぬべきだったと言っている

・教義の環境的にはユダヤ戦争でイエス様の言うことを聞かずに死ぬのが理想だった?

 愛を持って旧約律法を守る=神殿や祭司、レビ人、祭具がないと不可能

・パウロさんが偽者扱いだと、

 書簡だけでなく「ルカの福音書」、「使徒行伝」等も攻撃されかねない

・内容によっては本人にそのつもりがなくても

 ユダヤ戦争後、諸々がなくなった後に生きていたヨハネさん達を

 言外で脱落者扱いしかねないのでは?

 ※ まとめると一番いい状態が聖霊活動時期+ユダヤ教の神殿、祭具等があった頃なので、

   ユダヤ戦争後のヨハネさんはどうやって生きていられたのか?という事になるはず 

・福音書で目を開かれた方のいうように、神は悪人の言う事を聞かれないと言っていたし、

 イエス様は業を見て信じろとも言われていた(ベルゼブル論争とか今だとディダケーとか?)

・弟子は120人+3000人近く?いた(使徒の序盤)

・適当に検索しても、当時コリントの教会周りは状態が悪かったと判断できるので、

 要するにそういう人達か、聖霊を持つ人についてくるかという話

・ペテロさん達も顔を知らないわけではない

 後は旧約聖書を読んでみるとかを勧める

 

1:マタイによる福音書/ 16章 19節
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。
あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。
あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

2:マタイによる福音書/ 18章 18節
はっきり言っておく。
あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、
あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。

 

1:コリントの信徒への手紙二/ 03章 03節
あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。

墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。
 

 

TR訳のガラテヤ2章16だと

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「人は、イエス・キリストへの信仰を通してでなければ、律法の行いによっては義とされない」
 と知って、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。

それは律法の行いによってではなく、キリストへの信仰によって私たちが義とされるためです。
律法の行いによっては、どの肉なるものも義とされることはないからです。

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で、新共同訳だと
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しかし、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、
ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、
私たちもキリスト・イエスを信じました。
これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって義としていただくためです。
なぜなら、律法の行いによっては、誰一人として義とされないからです。

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と言う感じで、偶像崇拝をするな、善い事をしろ、悪いことをするな等も発言している

 

一応、旧約も一般の人よりは祭司等、神に近づくほど聖くしておく、

つまり一般の人は緩い部分もあったという事

 

 

ニコライ派絡みではないか?というのは読み方が悪いのか?

パウロさん自身は使徒20章の17節から最後まででエペソに警告

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20:28節からエペソの人に向けて、

私が去った後、獰猛なが入り込んできて、群れを容赦しなくなること、
あなたがた自身の中から、ゆがめられたことを語る男たちが立ち上がり、
弟子達を引き離して彼ら自身の後ろに付かせようとすること、そのことを私は知っていると警告
その後全員?で祈りあって泣き悲しみながら挨拶して別れた

 

25辺りではもう2度と自分を見ないだろうとも言ってる

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ニコライ派
使徒6:5(パウロさんもまだ回心していない時期)に人名でだけ出てきた後、
黙示録の教会への手紙にいきなり現れて、2度も言及された宗派で、
・強い階級性
・好色で偶像崇拝などの不品行をさせた
 など本当の意味での節制などしない律法廃止派と言えそうなもの

 

1:ヨハネの黙示録/ 02章 01節
エフェソにある教会の天使にこう書き送れ。

『右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が、次のように言われる。

 

2:ヨハネの黙示録/ 02章 02節
「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、

また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、

彼らのうそを見抜いたことも知っている。

 

3:ヨハネの黙示録/ 02章 03節
あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。

 

4:ヨハネの黙示録/ 02章 04節
しかし、あなたに言うべきことがある。

あなたは初めのころの愛から離れてしまった。

 

5:ヨハネの黙示録/ 02章 05節
だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。

もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、

あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう。

 

<TR訳>6:ヨハネの黙示録/ 02章 06節
ただし、あなたにはこのことがあります。

あなたは、あのニコライ派の者たちの行いを嫌悪しています。

 

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22. グノーシス主義とは何ですか?
ttps://opusdei.org/ja-jp/article/iesu-shitsumon-22/

 

上記の方の記事より引用


>> このグノーシス主義者から聖イレネオが直接争っている
>> ウアレンティノス派が由来するとのことです。

>> また、その多さや異端の多様さを次のごとく語り説明しています
>> 「その共犯者の多くは、実際はすべてが、指導者になりたがっている。

>> 今まで信奉していた異端派から立ち去り他の教義に基づく教えを企て、
>> そしてその教義に基づき更に新たな教義をつくり、
>> さらには全ては自分たちが正統であり
>> 実際お互いに相容れないような教義を自ら見出したと主張しています」
>> (『異端反駁』1. 28. 1)。


>> 「グノーシス主義」と呼ばれるものの中に非常に多くの分派があり
>> 指導者がいたのでこの総称的な形容詞でまとめられました。
>> この中には次のものがあります、分派としてシモン派ニコライ派,
>> オフィス派,ナース派セツ派,ペラタ派,バシリデース派,
>> カルポクラティア派,ウァレンティノス派,マルコシア派等があり


>> 彼らは教会の中で「身を隠した猛獣」の役割を演じたと聖イレネオは語っています。

 

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上記の方の記事より引用

 

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初代教会の証言

例えば、リオンの監督エイレナイオス(2世紀)は、

ニコライ派およびニコラオスについて次のように説明しています。

 

「ニコライ派というのは、あのニコラオス(Νικόλαος)

 ーー使徒たちによって執事職に初めて任命された7人の内の1人ーー

 の追従者のことを指している。

 

 ニコライ派の人々は、抑制のない放縦に身をゆだねた生活を送っている。

 こういった人たちの性格はヨハネの黙示録の中に明確に描き出されている。

 そこから分かるのが、彼らは、姦淫を行なったり、

 偶像に捧げられたものを食べたりすることに平気であるということだ。」

 Irenaeus, Ante-Nicene Fathers, vol.1, p.352.

 

 

アレクサンドリアのクレメンス(2世紀)は

ニコラオスについてこう言っています。

 

「ニコラオスに追従していると言っている者たちは、彼の格言を引用し、

『肉体は乱用されてしかるべきである』といってそれを悪用している。

 しかしその尊い人物〔ニコラオス〕が実際に意味していたのは、

 快楽や情欲を抑制する必要があるということだったのだ。」

 Clement of Alexandria, ANF, vol.2, p.373.

 

 

それからヒュッポリトス(3世紀)はこう述べています。

 

「ニコラオスはこういった邪悪な人々の蔓延の元凶となっている。

 彼は使徒たちによって執事職に任命された7人の内の1人であった。

 しかし、彼は正統教理から逸脱し、生活や食べ物のことに関し

 人々に無関心を吹き込んでいた。

 

 こうしてニコラオスの弟子たちが聖霊を冒涜し続けるに及んで、

 ヨハネは黙示録の中で、彼らのことを不品行を行なう者、

 偶像の神に捧げた物を食べさせる物として叱責した。」

 Hippolytus, ANF, vol.5, p.115.

 

ニコラオスの具体的教えや、ニコライ派の人々がどのくらい

ニコラオスのオリジナル教説を採用していたのかについては、

一次資料をもってしても確実には断定できず、蓋然性の域を出ませんが、

少なくとも、初代教会の著述家たちが一様に、

ニコライ派とニコラオスを何らかの形で関連づけていた

ということだけは言えるのではないかと思います*1。(詳しくは巻末資料)

 

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引用終わり

 

 

 

年代順?で自分が参考にした所だと

AD45-50 ヤコブの手紙

AD49-55 ガラテヤ

AD50年代 マルコ

AD51   テサロニケ1,2

AD55-56 コリント1

AD56   ローマ

AD56-57 コリント2

AD59-60 ルカ

 

言われてる区分で獄中書簡4つ、

AD61   エペソ、ピリピ コロサイ ピレモン

 

AD61   使徒伝

AD63   テモテ1

AD64-65 ペテロ1

AD64-67 テモテ2

AD65   テトス

AD66   ペテロ2 時期的にはこの前後でペテロさんとパウロさん両名が殉教

 

AD66-70  ユダヤ戦争で神殿崩壊

 

残り

AD60年代 マタイ

AD65-69  ヘブル

AD67-68  ユダ

 

ヨハネさん絡みの書簡

AD85-90 ヨハネの福音書

AD80-90 手紙の1,2,3

AD90-95 ヨハネの黙示録 

 

7つの教会の内容が象徴的な意味合いもあると思うがこの辺はややこしいと思う

 

 

聖書から引いてくるにしても新約なら12使徒の殉教に関してなど、

聖書にほとんど書かれていない情報もある

から引用して、

 

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ペトロさん     ローマで宣教しローマで殉教

アンデレさん    アジアやギリシアで宣教、当時のローマの総督に捕らえられて殉教

大ヤコブさん    スペインで宣教後、エルサレムでヘロデ王に殺される

ヨハネさん     流刑後に書簡を書く

フィリポさん    各地で宣教、トルコ(当時はローマ)のヒエラポリスで殉教

バルトロマイさん  アジア(フリギア等)やインドで宣教、アルメニアで殉教

トマスさん     インド、パルティアなど東方へ宣教  南インドで殉教

マタイさん     エチオピア(もしくはトルコのヒエラポリス?)で殉教

小ヤコブさん    エルサレムで殉教

タダイさん     アルメニアと小アジアのエデッサ等で活動後殉教

熱心党のシモンさん エジプト、ペルシア、アルメニアで活動後殉教

マティアさん    63年頃 エルサレムで殉教

 

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後はエゼキエル17章のバビロン捕囚の教訓や、

エレミヤさんの書き送った捕囚期の暮らし(エレミヤ29)と

ダニエルさんのネブカドネツァル王への態度、

マタイ23のパリサイ派の言う事に関する事等を見ると、

その時その時に合致してるところは聞くし、そうでない物は避けるのか?と思う

 

聖書中だとヘロデ派やパリサイ派がきっかけにして終わりのような物だが、

ユダヤ戦争時期になると熱心党のような問題も出てくる

 

後は注意する所は、イエス様の時代で、メインの12人以外に、弟子が120人居た事

最後の晩餐等には招かれていない、という立場の人達もいたこと

 

結局、私達が何を獣と見ているかで変わるのだろうからそれの自覚から始めたほうがいい

獅子や狼、熊や豹の類にはよく注意して近づかない方がおそらく良い

 

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証人としては3人?いる内の目を開けたアナニヤさん、

ルカさん、ペトロさん他やバルナバさん

 

<追記>

発言のブレに関しては人の部分もあっただろうけど、

理由としてはコリントが一番分かりやすい

 

後は時期や諸々が違うがダビデ王も気が狂ったような演技をしてその場を逃れる箇所がある

(サムエル記のガトの王の所に身を寄せかけた時のこと)

 

コリントの信徒への手紙一/ 09章 19節
わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。

できるだけ多くの人を得るためです。

 

コリントの信徒への手紙一/ 09章 20節
ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。

律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、

律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです

コリントの信徒への手紙一/ 09章 21節 <TR訳>

(私は、神に対して律法のない者ではなく、キリストに対して律法の内にいる者です)

律法のない人たちを獲得するためです。

 

コリントの信徒への手紙一/ 09章 22節
弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。

すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。

 

コリントの信徒への手紙一/ 09章 23節
福音のためなら、わたしはどんなことでもします。

それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。

 

<追記>

文章を読む限りペトロさんと近い所もあったろうと思うが、

そもそも、そこまで言論を突くとほとんどの人は何も語れなくなる

(ステファノさんのモーセさんの台詞なんかも多分駄目扱いになるんじゃないか?)

 

※(微妙な時間帯だけども)夜?である今ならまだしも、

  当時はまだ長い長い夜の前の、昼の時間帯?とするなら尚更

 

(あくまで想像できる範囲だとイエス様から直接任された事と、

 ユダヤ教の内、イエス様を受けいれた+神殿崩壊前で血統の証明ができていた、

 当時のユダヤ人を中心的な人物として纏めていたことへの発破?

 ※ パウロさん側はイエス様を受けいれた異邦人メインなので、

   より土台に近い12使徒は特別なはず)

 

クリスチャンという言葉は当時なかったろうが、裁判で

アグリッパ王に「お前はわずかな時間で改宗させようとしている」

フェスト閣下に「お前は気が狂っている」と言われてもそのまま喋る、

多くの人を集めて殉教をしたことはやはりパリサイ派でも難しいのでは、と思う

特に振り返るとAD70年の神殿崩壊を控えているので

※ ペテロさんもパウロさんも67年前後辺りに殉教

 

旧約で主が遣わせた人を受け入れなかった事と、

福音書の過渡期の時代にイエス様を受け入れなかった事と、

後に聖霊を受けた人達を受け入れなかった事

これはおそらく同じではないかと思われる

 

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コリントの自分について来い、の意味

 

コリント 異教 とか検索すると出るかもしれないけど、

そういう要素があったらしい

なのでおそらくは「そっちでなくこっちに来なさい」の意

 

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・罪に関してはエゼキエル書等からして個人個人の罪によって滅ぶのみ

・ペテロさんの手紙でも「堅固でない人達が曲解して自らに滅びを招いている」旨

 

エゼキエル書/ 18章 19節
それなのにお前たちは、『なぜ、子は父の罪を負わないのか』と言う。

しかし、その子は正義と恵みの業を行い、

わたしの掟をことごとく守り、行ったのだから、必ず生きる。

 

エゼキエル書/ 18章 20節
罪を犯した本人が死ぬのであって、

子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。

正しい人の正しさはその人だけのものであり、

悪人の悪もその人だけのものである。

エゼキエル書/ 18章 29節
それなのにイスラエルの家は、『主の道は正しくない』と言う。

イスラエルの家よ、わたしの道が正しくないのか。

正しくないのは、お前たちの道ではないのか。

 

エゼキエル書/ 18章 30節
それゆえ、イスラエルの家よ。

わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。

悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。

罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。

 

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俗に言う携挙?とされる部分の絡みは確かに難しい

少なくとも自分には今の所、確信を持った解釈が出来ない

個々人がどこで何をするかは特定が難しいという感じ

 

今は時期が来るまでは守ってくださるとは思うが、

やはり迫害は避けられないように思われる

業をこなし教えつつ、主の道をなぞれるか

 

ただ残り3年半の試練の後?の聖徒の事であれば、テサ1の4:14から

眠りにつかせられている(死んでいるのではなく眠っている)人達が連れてこられる、

合図の号令、天使の声が聞こえて、ラッパが鳴る、

その時に主に結ばれた人がまず最初に復活し、

それから私達生き残っている者が空中で主と会う(全員揃う?)とあるので、

生きている者、死んでいる者をどうとらえるかによるのかもしれない

(生死に関する事については↓)

 

マタイによる福音書/ 09章 24節
言われた。

「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」

人々はイエスをあざ笑った。

1:ヨハネによる福音書/ 11章 11節
こうお話しになり、また、その後で言われた。

「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」

 

2:ヨハネによる福音書/ 11章 12節
弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。

 

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全体の傾向として古代からパリサイ派等の指導者は、

「律法を不実行だった(口だけか、神の意図をまるきりはずしていた)」事は確か

後は神やイエス様や聖霊を持ってた人の言葉を聞かなかった事

 

基本的にはイエス様のように教会等とぶつかる事を想定されたほうがいいが、

勝手に裁いたり、特に流血沙汰や遺産相続の話の様に政に関わるのは避けること

イエス様も弟子のヤコブさんとヨハネさんが火で裁こうとした時はそれを戒められた

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現時点での自分の解釈があってるかわからんから置いておくだけ置いておくと、

・律法を守っていた(特に聖別後である)アカンさんが
 アコルの門の教訓になった理由、

・サウル王が捧げ物の牛を取っておいたのに罪と定められた理由、

 

・ユダのアサ王がハナニさんによって告げられた罪、

 

・ダビデ王がガトの王の所から離れる為に気が狂っている振りをした事とその許容

 

・ダビデ王が神の霊をうけたサウル王を、

 同じ神の霊をうけた人だからと倒さなかった事、和解を求めたこと、

 

・神殿のなかった時代、エゼキエル17章やエレミヤ29章の解釈

 

・ダニエルさん(や他ユダヤ人)が、

 上限はあるにしろバビロン王に従っていた理由、

 

・熱心党(当時の反ローマ組織)のシモンさんがなんで回心したか

この辺りを考えてみるのはいいんじゃないかと思われる
基本、聖書は神の言葉、聖霊による主の言葉
これらが聞こえる人が選ばれたタイミングの話が多いはずだから

 

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律法を全部を守れ、とする結末から引いてみると、

近いことを言う、行う団体を探してみた場合へブル的ルーツ運動に当たり、

団体の事を知らせている方のブログ内のいくつかの記事から拾って要点を抜くと海外の場合、

 

・この団体の教理が正しいなら、表の教会どころか今までのヘブライ語話者すらみな間違い

・イエス様が「生ける神の御子」「御言葉が肉(血や体)をとってこられた方」等でなく、

      「生けるトーラー」等といった意味合いの言葉で呼ばれる

 

・既存教会は背教しており、主が回復しようとしている

(背教の程度は不明だが、回復はおそらく正しい。

 キリスト教も事実上、神の言葉やその証より教理優先でパリサイ派というかユダヤ教の傾向に近い)

 ※ 字は人を殺すが、霊は生かす

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 動画曰く、

 今日、多くの教会で浅薄で中身のない説教がはびこっており、

 その結果、福音主義クリスチャンの間に、聖書的「非識字化」現象が生まれています。

 そういったクリスチャンたちは、薄っぺらでない、より「深い」内容を求めています。

 ヘブル的ルーツ運動は、そういった「非識字化」されたクリスチャン たちの心を捕え、

 彼らを自らの運動内に引き込んでいます、との事 

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・イエスはトーラーのメシアで新契約のメシアではない

・ヘブル語のイェシュアが正しく、イエスは異教の名前=イエスはギリシャの神

・ユダヤ教だけでなく、タルムードやカバラ要素が含まれる

・タリート自体も付け加えだが、ふとした時にその扱いが雑

・スィットスィート(tzitzit)と呼ばれる飾りふさを着用するよう要求

・クリスマスやイースターを祝うことを禁じる一方、

 ヘブル的祝祭(過越の祭り、仮庵の祭り)を祝うことを命じている

 

 ※自分の立場で言えば、

 ・過去の対立があったとはいえユダヤ教の祭りの意義は良く、

 ・キリスト教の変えてしまった祭りは良くない

 ・だが、イエス様の死を扱う主の晩餐以外はどうなのか?という立場

 

・イエス様は誰にでも道を開いているとしつつ、トーラーを守る必要があるのは、

 「あなたがイスラエルの「失われた10部族」の末裔であるから」

 

 血統、同祖論的で判別方法が不明だったり、騙りの問題もあるが

 血でも霊でも主による判別方法でなくていいのか?という疑問もある

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・メシアニック系で言う所のワントーラー派?が特に全律法遵守系

(以前は少数派だった様子だが今はどうか)

 

・シオニストの人はともかく、

 自分が見た所のメシアニック主流派も地上の国家を必要としている?

 

・メシアニック系の幾人かがどうなるか、それ以外のユダヤ教の人もどうなるか

 ※現行のイスラエルには反対の超正統派の人や、パレスチナの人等

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律法に関して

 

 ※律法廃止でなく完成にしに来た = 象徴的に傷のない1歳の子羊となれる人

  血の契約は人や祭具の類まであらゆるものにふりかけられて清められる

 

ローマの信徒への手紙/ 07章 07節
では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。
しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。
たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、
わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。


ガラテヤの信徒への手紙/ 03章 22節
しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。
それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、
信じる人々に与えられるようになるためでした。

ガラテヤの信徒への手紙/ 03章 23節
信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、
この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。

ガラテヤの信徒への手紙/ 03章 24節
こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。
わたしたちが信仰によって義とされるためです。

 

ヘブライ人への手紙/ 09章 12節
雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、
ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

ヘブライ人への手紙/ 09章 26節
もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。
ところが実際は、世の終わりにただ一度

御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。

 

ローマの信徒への手紙/ 07章 06節
しかし今は、わたしたちは、
自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。
 
その結果、文字に従う古い生き方ではなく、
“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。
 

 

・パウロさんの言い回しで駄目なら、パリサイ派と徴税人のたとえで

 律法を全て守れなくてすみませんと憐れみを願う側が近いのではないか?と思う

 キリスト教の評判見てると、字を見て守って普通の人を汚くして哀れんでるのは善くない

 

 (旧約で言えばヨブさんの逸話は、

  最後に、自分は正しくないのですか、という思いを引き出されて済んだが今度はどうか)

 

 後はヨブさんの友人的態度や、ホセアさんやエゼキエルさん辺りも、

 後年の資料という形で、ある意味で神の目線から見れているから

 良いのか悪いのかを判断出来ているのであって、

 当時その場にいたら、彼らを迫害しないか、と言われたら難しいはずで、

 結局、確かに哀れみはあらゆるものに勝るんだろうと思う

 

・旧約律法に関しては相談の仕方もよく考えたほうがいい
 (要件が全てを忠実に守れなので)
 
 ※そう思う理由
 ・旧約律法を全て守れといった場合、申命記だけでも祭儀律法が絡まない所、
  物理的な面以外でも、主の判断が絡む所を嘘偽りなくどう仰ぐのか、など
  軽く拝見するだけでも前述したメシアニック系でも無理との事
  旧約は根本的な所で守れない物が非常に多く、全てを忠実に守れなければ主に罰せられる
  (発言者が容易に律法学者やパリサイ派になる恐れがある)
 
 ・マタイ5:19に沿わせるなら、当時(十字架前かつ神殿があった時)と今の時勢もあるが
  旧約律法でも大体の人は小さいものと呼ばれないか?という点
  見てると個々人で守るところと守らない所を事実上、自分達で決めて発言しているからで、
  「めいめい自分が正しいと思うことをやっている状態」にならないか?という所
  (実態として自分達はどこを守っていて、どこを守っていない状態なのか)
 
 ※福音書の時代は新しい契約前、
  エズラ記やネヘミヤ記周り見ても、神殿がない時は活動しない?ので捕囚時代に近いか
 
 ※どこかで拝見したがイエス様への信仰でなく、イエス様の信仰、が正しいなら、
  その日まで自分で見える範囲ででも悪い事をしない様に抑えているのが大事で、
  そういう意味では安息日(安息日もどきが精一杯?)等もいいかもしれない
  この点で裁きたがる人も普通に暮らしている人から学べる所がたくさんあるはず
  下手すれば汚い扱いだがそれは善くない
 
テモテへの手紙一/ 01章 08節
しかし、わたしたちは、
律法は正しく用いるならば良いものであることを知っています。

テモテへの手紙一/ 01章 09節
すなわち、次のことを知って用いれば良いものです。
律法は、正しい者のために与えられているのではなく、
不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す者、
神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、

テモテへの手紙一/ 01章 10節
みだらな行いをする者、男色をする者、
誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のために与えられ、
そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられているのです。

テモテへの手紙一/ 01章 11節
今述べたことは、祝福に満ちた神の栄光の福音に一致しており、
わたしはその福音をゆだねられています。
 
・旧約律法にしろ、新約にしろ、
 言ってしまえば脅迫的に自分の救いに固執する形になってしまっている事が多い
 教派教理の対立も後の雨?等を考えるならあまり意味がないような気がする
 
 律法を守るのに必要な資力がなく、律法を守れなかった当時の貧しい人々が、
 パリサイ派に地の民(アム・ハアーレツ)と呼ばれ蔑まれていたのと変わらない
 
 ヨハネ福音書 7章の49節の辺りのパリサイ派
 「だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている」
 
・私達は自分達が悪い者である事を受けいれたのであって、
 私達は義人だと言う事でなく、ある意味これもパリサイ派の特徴に近い
 
・既に悪いものである私達が傷のない捧げ物になれると言っていないか
 傷があっても是とされるなら、それはどういう事か
 
・後の雨?がそのまま私達に来ているのであれば、
 そういう話があってしかるべきだがそういう話はない
 (人工的な後の雨、聖霊の運動の方は1948年にカナダで起こった:後の雨運動)
 ※類似:聖霊の第3の波、リバイバル、カリスマ運動、ペンテコステ系の運動
 
 そして現時点の判断では難しいが、マルコ3章で一般の群衆?と律法学者に向けて、
 聖霊(及びそれを持つ聖徒?)への冒涜以外は赦されるという言葉もある
 (選ばれる祭司はより清めが必要であり、他の人は審判の時に纏めて裁かれるか?)
 
<追記>
 エイレナイオスのブログ   復活  -綱領-
 
 これが神の御計画ならば本当に素晴らしい
 現在は創世記の蛇のような霊的存在の処置制度作りと補充を兼ねたりしていたのだろうか?
 教理で言えば準・万人救済程度はあるんじゃないか?
 
・ノアさんやアブラハムさんの契約時に内容が細かく変わっている上に、
 モーセの律法内容を全文示されなかった、時期があったのはなぜか?という事もある
 ノアハイド法なんていうのもあるらしいがまた別問題
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人に守れ守れでその実やらずになるならパリサイ派になるのでその点も注意

ただ、人は神学を教わっている可能性が高いので、

誰かに聞くよりもまず通して読まれたほうがいい

(ただ本当に曲解には注意)

 

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<以下追記>

彼らの言うように613の律法全部守るなら、

生贄や捧げ物に関する所等の扱いはどうなっているのか

何故今も書かれているのか

 

その他の律法にも言えるけれども、

効力があるとするのに守っていないのか、

やっていないのに効力があるとするのか

 

個人的に十戒他いくらかの真似事には挑戦しているが、

「モーセの律法の全文」に関しては本当によく読みなおしたほうが良い

考えがあるなら保留にしておくべき(十戒も613の内の中の一部)

ただ安息日に関しては明らかに学ばせてもらえる事があったので、

試せる内にやってみるのは勧めておきます

 

他には

・ベルゼブルの論争、良い業そのもので信じる事、

 目を開けられる業ができる人など聞いた事がない、

 神は罪人の言う事は聞かれないが、御心を行う人の言うことは、お聞きになられる

 

・律法を完遂するために必要な、

 神殿やら祭具、レビ人、裁判所諸々を捨てて逃げなさい、のイエス様の命令、

 ユダヤ戦争後の人々や、使徒ヨハネとその集まりはどうしていたのか考えると、

 律法の全遵守、遵守による誇りはやはり、

 生きた神の言葉でなく、書かれた神の言葉であると思う

 

(話だけならヒレル主義も近いが、微妙に要点が違うのと、

 何よりイエス様ただ一人が罪なく、律法の全遵守によって義を得られたこと。

 他は全員罪があるので要求に届かない)

 

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マタイ19:16-22

すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。

「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。

 

イエスは彼に言われた。

「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。

もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。

 

 彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。

「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。

父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」

 

この青年はイエスに言った。

「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」

 

イエスは、彼に言われた。

もし、あなたが完全になりたいなら、

帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。

そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

 

ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。

この人は多くの財産を持っていたからである。

 

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他には善きサマリア人のたとえなど

ルカ10:25-37(口語訳)

 

するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、

「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。

 

彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。

 

彼は答えて言った、

「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

 

彼に言われた

「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。

 

すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った

「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。

 

イエスが答えて言われた

「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、

その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。

 

するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、

この人を見ると、向こう側を通って行った。

 

同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、

彼を見ると向こう側を通って行った。

 

ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、

 

近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、

自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

 

翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、

『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、

帰りがけに、わたしが支払います』と言った。

 

この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。

 

彼が言った 「その人に慈悲深い行いをした人です」。

そこでイエスは言われた 「あなたも行って同じようにしなさい」。

 

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マルコによる福音書 3章28-29節
「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。

 しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」

 

人の子らが何を指すかもあるが、旧約の時の普通の人の状態や、

神の言葉に背く、イエス様の言葉に背くのとほぼ同じ?

 

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ヤコブ2:6-13

だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。

富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、

裁判所へ引っ張って行くではありませんか。

 

また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、

冒瀆しているではないですか。

 

もしあなたがたが、聖書に従って、

「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、

それは結構なことです。

 

しかし、人を分け隔てするなら、

あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。

 

律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、

すべての点について有罪となるからです。

 

「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。

そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。

 

自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、

語り、またふるまいなさい。

 

人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。

憐れみは裁きに打ち勝つのです。

 

この時ヤコブさんも律法の第1の掟は省略している

 

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申命記28:15
しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、

今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、

これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。

 

申命記28:58
もし、この書に記されているこの律法の言葉をすべて忠実に守らず、

この尊く畏るべき御名、あなたの神、主を畏れないならば、

 

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・米国?世界で流行っているなら、来るのは良くも悪くもメシアニック系か?

 (へブル的ルーツ運動はユダヤ教回帰)

・スウェーデンボルグさんやヘレンケラーさんのスピ、交霊、一部ユニテリアン系絡み

 (合理的ユニテリアン? アリウスさん等、聖書的なユニテリアンとは別?)

 パウロさんや過去の人が地獄で苦しんでいるらしい

・パウロさんがピタゴラスさんの弟子アポロニウス(アポロ=太陽神)だ、というのもあるが、

 別の所ではイエス様へ向けて「類似点が多いのでそうなのでは?」と言われてる事もある物

 そういう評をつけようという意図は気になる

・死海文書も保留(第2次大戦後に発見というのは、良くも悪くもタイミングは良い

 1947年:死海文書(光と闇のメシア云々など)、

 1948年:現イスラエル

 

<追記>

 死海文書の関連書籍や意見については正直、疑問符がつくようになってきた

 

・日本ではエヴァンゲリオン等で名前が広まる?

・「70年の荒廃後(2017年ー2018年)」から少したって破滅

・偽りの説教者パウロ(パウロさんが使徒と揉めた?)

 とカトリックの陰謀説(善くはないのは多分事実)

 (メシアニック系の極一部の、特に全律法遵守系の陰謀論系の方はこれを言われる様子)

 

・聖書にない預言(1.イスラエルの破滅?  

         2.光と闇の最終戦争 

         3.最終的には光の勝利)

 

 ※ 元々危ないので1番は正しいかも

 

・アロンのメシア フリーメイソンやらクムラン宗団等諸々?
・(北?)イスラエルのメシア 日本人?

 

・光のメシアと闇のメシアの戦い

 (シオンと呼ばれる天にあるエルサレムではなく地上では?)

・日ユ同祖だと失われた10支族(北イスラエル?)は日本皇室の祖先説

 (英、米、中、韓やそのほかの国、他国のユダヤ同祖論は?)

 中国は不明だが、英、米、韓辺りは自国の役回りの噂を聞いた事がある程度

 
 プラスして、

 英ユは英国王室関連や12貴族と13血流などの陰謀論系

 米ユはシオニズムやヘブル的ルーツ運動など?

 韓ユは統一教会関係?

 

 他外国の同祖論等はどうか

 

・ナグ・ハマディ文書やらトマス、マリア、ユダの書のグノーシス系?

・原始キリスト教は輪廻転生を教えてた説でインド・アーリア系宗教推し?
・イエス様とマリアさんは夫婦関係で子供がいた

 (シオン修道会とかメロヴィング朝とかそっち方面の陰謀論?)

・イスラム寄りの文面も見受けられる?

(地域がイスラムなのでしょうがないのかもしれないけど、

 死海文書もナグ・ハマディ文書も発見者がムハンマドさん)


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統一原理と死海文書が持つメシア観の比較検討(統一教会の信者の方?)

 

>>つまり、イエスの十字架を信じることによって
>>自分の罪が贖われ死後天国に行けるとする十字架贖罪信仰とは、
>>後のローマカトリック教会の宗教的権威を未来永劫に渡って
>>守るために作られたパウロの捏造だと言うのである。

 

>>それから「死海文書」の他にも
>>「ナグ・ハマディ文書」の中の新約聖書から排除された
>>「トマスによる福音書」「マグダラのマリアによる福音書」
>>「ユダによる福音書」等から明らかにされている内容がある。

>>それはユダヤ教(黄色人種のエッセネ派)と
>>その流れにある原始キリスト教の教えには輪廻転生があったこと。
>>そしてイエスとはマグダラのマリアと夫婦関係にあって
>>子供も居たということです。

>>このように
>>「トマスによる福音書」「マグダラのマリアによる福音書」
>>「ユダによる福音書」を新約聖書から排除して、
>>イエスがマグダラのマリアと夫婦関係にあって
>>子供が居たことや輪廻転生の記述を排除したのは、
>>後のカトリック教会の権威を守るためだというのです。
>>そしてパウロはそれに加担したというのです。

 

<追記>

今はわからないが、イスラムもパウロさんを拒絶してた部分があるらしい

 

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日本人のメシア誕生?解読された死海文書の謎と発見される奇妙な予言

>>死海文書には旧約聖書に記されていない予言が存在しています。
>>そのためこの「失われた予言」はオカルト界隈で都市伝説と化し、
>>死海文書の人気を支える理由にもなっています。

>>①イスラエルの破滅
>>死海文書には
>>「イスラエルが国家として立ち上がるも70年にわたって長い混乱に見舞われる」
>>という予言が存在します。
>>さらにその混乱の最後には破滅が待っているとされています。
 

>>②光と闇の最終戦争
>>死海文書の中には「光の子と闇の子のあいだに最後の戦いが生じ世界が崩壊する」
>>という予言も存在します。
>>その内容は以下のようなものです。

>>神に寄り添う者には栄光が訪れ、サタンに寄り添う者には絶え間ない破壊が訪れる
>>光の子も闇の子も天使と共に戦うが、神は光の子に微笑むだろう


>>③日本人メシアの誕生
>>先述した光と闇の戦争において死海文書には
>>「光と闇の両軍にそれぞれのメシア(救世主)が誕生する」
>>という予言も存在します。

>>そして、このメシアの一人が
>>日本人から誕生するのではないかという噂があるのです。

>>日本語の語源はヘブライ語であるという研究結果があることから、
>>日本人とユダヤ人は祖先が同じであると考えられています。

>>また、死海文書には「メシアは聖書を知らない東の国から現れる」
>>という記述があり、聖書の影響が少ない日本はこれに一致します。


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<その他>


・クムラン教団はエジプトが本拠地
・エッセネ派は厳格な戒律主義
・イエス様の空白期間にあてはまる(あてはめる?)
・イエス様の力は聖霊でなくクムランの教えによる力(?)
 洗礼のヨハネさんもクムランなので、原点は死海文書?

・イエス様とクムランの関係が正しければ、イエス様はユダヤ教を信仰していた
 死海文書がキリスト教の原点なら今あるキリスト教の教えが根底から否定

・大天使ガブリエルの啓示
 ほとんど風化して読めないが「3日間」「生きる」の言葉から
 ガブリエルによって復活したという説

・ユダヤ教とキリスト教は死海文書が原型?

 

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(アメリカの)

聖書博物館所蔵の「死海文書」すべて偽物であることが判明

のパターンだと、↓の通り

紀元前3世紀ごろに作られたヘブライ語の聖書の写本「死海文書(しかいもんじょ)」のうち、
アメリカにある聖書博物館で展示されていた16の断片すべてが偽物であったことがわかりました。

「死海文書」は大部分がイスラエル政府の管理下にありますが、
その断片が市場に流通しており、収集家などの興味の対象となっています。

ただ、2002年から断片が流通するようになったということで、
その真正性には以前から疑義が唱えられており、
聖書博物館に収蔵されていた断片も、偽造の可能性が指摘されていました。

調査を行ったのは美術品の真偽確認調査を行う

Art Fraud Insightsの創設者でもあるコレット・ロール氏ら。

 

数々の科学的実験を経て作成された212ページにも及ぶ最終レポートにより、
博物館収蔵の16点の「死海文書」断片すべてが偽物であることが報告されました。

レポートによれば、

断片はいずれも現代になってから作られたものだったとのこと。

 

オリジナルの死海文書のような羊皮紙の光沢や、

洞窟で見つかったことを想定しての鉱物で汚したりするなど、
明らかに欺く意図が感じられるものだったそうです。


聖書博物館のジェフリー・クロハ館長は、レポートの内容を受けて
「いい結果ではありませんが、

我々のコレクションの真正性を検証するために用いられた手法は、

他の疑わしい断片に光を当てるもので、

さらに、偽造を誰が行ったのか明らかにするために効果的ともいえる」と、

今回の調査が聖書考古学の分野に利益をもたらすものであったと主張しています。

 

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