私は、自分が常に断崖絶壁を歩いているように感じているのだ、と気づいた。
両サイドに広がるのは底の見えない暗闇で、
1歩踏み外したら破滅が待っている。
だから、足を踏み外さないように、常に周囲を警戒し、あらゆる可能性を考えながら進む。
そして、恐怖に怯えながらも心を奮い立たせて前に進んでいるにもかかわらず、
この道の先にあるものは破滅なのではないか、
自分の人生はだんだん絶望へ向かっているのではないか、という恐怖が付きまとっている。
そんな恐怖を感じながら、日々生きている。
と、いうことに
桜が咲き誇る近所の公園で文化人類学の本を読んでいて気がついた。
だから、ゆるやかな時間が流れる、のどかな自然の中にいても、心がどうにもせかせかして落ち着かない。
気づいてはっとするのと同時に、心から納得した。
最近の私の心は恐怖で満たされていて、いつも何かに怯えて生きている、ということには気づいていたから。
いつからこんなふうに思うようになったんだろう?と思うと、社会人になってからだと思う。
ようやく手にした自由と引き換えに、
自分の人生に責任を取らなければいけなくなった。
主に、生活するためのお金について。
お金がなければ、自分の心地よい暮らしをすることができず、我慢ばかりの生活になる。
私は、社会人になってから「自分の本心と向き合う」ことを学んだ。
自分の心に従って生きることの大切さを知ることができたのは本当に良かったと思うし、
これまでより自分の好きなように生きることができるようになった気がする。
一方で、だんだん「我慢」ができなくなっているなぁと感じる。
だからこそ、お金がなくなり、苦しい暮らしをしなければならないかもしれないと思うと、心がとんでもなく動揺するのだ。
苦しい暮らしをするということは、生きる意味を奪うことだ。
私は自分の好きなことをするために、心を幸せや喜びで満たすために生きている。
それができなくなるなら、生きている意味なんかないのだ。
その恐怖は、これからも消えないのかもしれない。
けど、もう一つ思ったことがある。
崖から足を踏み外したその先に待っているものは、地獄の苦しみではなく、ふかふかの桜の絨毯なのではないか?
自分が考える「これが正解」というものが、本当に私を幸せに導いてくれるかは分からない。
実際、私が私を幸せにできたこともあったし、うまくいかないこともあった。
世界は広い。
私は常に人生や自分について様々なことを思い悩んでしまう、自分で言うのもなんだがなかなかめんどくさい性格をしている。
でも
「私」というものについて、文化人類学者として考えているのだと思うと
なんだか切羽詰まって考えていた自分の人生を、客観的に冷静に考えることができるような気がした。
文化人類学ってすごいかもしれない。
今の私にまさしくぴったりはまるものかも。
図書館で借りてきた3冊の本は、ちゃんと読んでみることにする。
ここまでいろいろ書いたけど
なにはともあれ…
春の公園って最高だなー!
日差しは暖かいし、少しひんやりした春風が頬にあたるのも気持ちいい🌸
これからも晴れた日はここで読書しようかなぁと思う。
家に閉じこもるよりよっぽど健全だし!