大阪の周りに田んぼしかない高校を卒業してから1年後わたしはオーストラリアに居た。






ほんとに人生とは何が起こるかわからない。自分でも1年後どこにいるかわからない。漠然と世界中を旅して回りたいと考えているだけで正直何も決まっていないのだ。

だが、それに対する不安や心配などはなくて、それどころか希望そのものすらを感じている。

それを感じる時に若さという時間を実感できる。今現在の自分の年齢にわたしはとても感謝している。

今はただ、この瞬間が楽しくて仕方ない。

あのとき、海外に行くという選択肢は間違っていなかっただろう。あれから、苦労が絶えなかったが考えてみればそれも一年前。あのときから確実に成長している。それは英語力だけではない。私は英語を学ぶと同時にヒトも学んでいるのだろう。

あれからどれほどわたしの夢に近づいているのだろうか。今が楽しいとは思う。だが、このままでは夢は叶わないのではとも思ってしまう。わたしがこのまま死ぬことはできない許されないのだ。

◯年後の自分へ,今いる場所に満足しているわたしは◯年後もこのままなのだろうか?と問いたい。わたしも結局は欲望の奴隷なのだろうか、世界中を回っているのだろうか。不安とは自分の将来に対する感情であるらしいが、未来とは希望に満ち溢れているモノなのだ。わたしはそう思う。では、自分の夢とは、それはゴールだ。言ってしまえばただの目的地。ゴールテープを切った後も道はまだ続いていく。いろんな道があるがゴールは一つしかない。この世界の誰もがそこに辿り着く。そこが本当のゴールでありゴールテープの先は永遠の安息が得られるのだ。そしてその道中にある切った偽のゴールテープを人は夢と呼ぶ。だから夢を持つことはいいことなのだ。夢を追いかけることもいいこと。最後のテープを切るまでの助走に過ぎないのから。なにもわからないから不安になるのではなくて、何もわからないからこそ興味が湧く、そしてそれが希望になる。未来がどうなるかなんて誰にもわからない。だから、希望を持つも、不安に思うも、どちらも似たような事なのだ。だから、今までのそして、これからの苦労も未来では報われているだろうと考える。 しかし、だからといって今を厳かにしてはいけない。今が、未来に繋がっているからだ。今この時この瞬間から未来は作られている。常に、なにがなんでも成し遂げてみせるという気持ちで挑むことが大事なのだ。

過去は振り返らかない、振り向くだけで十分なのだ。だから、夜くらいはゆっくり寝て体を休めることだ。