カワサキの8耐初勝利の翌年、1994年に8耐を初めて観戦しました。この年カワサキファクトリーからは日本人ペア(塚本昭一、北川圭一)と外国人ペア(スコット・ラッセル(前年8耐覇者)、テリー・ライマー)2チームが参戦しました。
この年からレギュレーションと予選方式が変わり、前者はプロトタイプから市販車ベースへ、後者は今も行われているトップ10トライアルのようなコースがクリアな状態でのタイムトライアルにより順位を決めるものとなりました。
ただ今と違うのは予選通過の全チームが参加出来たため、1チーム一人しか参加できませんでした。
カワサキファクトリーの予選結果は日本人ペアは塚本が挑み中盤まで好調でしたが、途中転倒があり39位に終わりました。
その後、最後から二番目にホンダファクトリーから参戦の武石伸也選手(前々年、日本人初のポールシッター、後にカワサキ移籍)がトップタイム(確かその時のコースレコード)となり「もう決まりだろう」という空気となりましたが、その後トリを飾るべく登場のラッセルが開始前のインタビューで不適な笑みを浮かべ「自信はある」と返答。その後コースレコード更新でポールホジションを獲得し、翌日の決勝に相当期待させられるのでした。
この年からレギュレーションと予選方式が変わり、前者はプロトタイプから市販車ベースへ、後者は今も行われているトップ10トライアルのようなコースがクリアな状態でのタイムトライアルにより順位を決めるものとなりました。
ただ今と違うのは予選通過の全チームが参加出来たため、1チーム一人しか参加できませんでした。
カワサキファクトリーの予選結果は日本人ペアは塚本が挑み中盤まで好調でしたが、途中転倒があり39位に終わりました。
その後、最後から二番目にホンダファクトリーから参戦の武石伸也選手(前々年、日本人初のポールシッター、後にカワサキ移籍)がトップタイム(確かその時のコースレコード)となり「もう決まりだろう」という空気となりましたが、その後トリを飾るべく登場のラッセルが開始前のインタビューで不適な笑みを浮かべ「自信はある」と返答。その後コースレコード更新でポールホジションを獲得し、翌日の決勝に相当期待させられるのでした。