もっと、自分のことを、知りたい。

 

いままで、あてもなく、言葉を喋ることを、それは、変態だと思って来た。

 

自分の言葉、それは、けっして、他人に聞かれてはならないものだった。

 

だから、わたしは、出来るだけ、自分をひた隠しに生きていた。

 

誰からもわからないように。決して、見つからないように生きた。少なくとも、自分では、そのようにして生きて来たと、実感しているのだった。

 

誰からも、話されることは無い。

 

誰からも、心を開かれることすら無かったのか?

 

だけれども、周りには、正直に生きているような、気持ちの良い友人や、同僚たちには、確かに助けられて、生きて来られたのが、私は、幸せだと、思いたかったし、思ってはいた。

 

だけれども、それは、決して、真実の喜びの毎日とは違ったのだった。

 

周りへの感謝、そう、言って頂いたから、、、、

 

その実、それ以上の、自分の気持ちを表現することを、私は、拒みつつあった。

 

 

そこまで、言って頂いたのだから、、、そうやって、真の

自分の気持ちや、言葉を、ひた隠しにして来た。

 

 

なんでなん?

 

(すみません・・・・。)

 

その実、自分の、心の中の葛藤を、私は、相手のためにと、隠して来た。

 

本来の自分、葛藤し、もがき、苦しみ、ながらも、生きようと、必死に生きている自分の姿を、人は、知る由もなかった。

 

それで、わたしは、ありがとうございます。

 

お気遣いありがとうございます。

 

そういった態度と、行動で、感謝の気持ちを、周りに伝えるようになったいた。

 

ところが、その実、自分の、本来の生命力、命の意思は、どんどん、封印されていった。

 

もう、見つからなくなったのだった。

 

その、封印した部分を、私は、今、探している。

 

その、地図は、N氏が、私に渡してくれたと、思っていた地図は、

 

本来、と、その前に、地図は白紙だった。

 

受け取った地図は、白紙だったのだ。どこにも当てのない地図を受け取った私は、地図を貰った喜びでいっぱいになり、白紙の地図にも関わらず、どこの地図なのか、必死で探し回った。

 

どこにも、そんな場所はないのだと、気づきだしたとき、私は初めて気づいたのだった。

 

白紙の地図だという事に。

 

もとから、何も書かれていなかったのだ。

 

地図では、無かったのだと。

 

元から、人から受け取った地図には、目的地は書かれていなかったのだ。

 

そうして、やっと、思い出しかけたのだった。

 

自分の地図の場所を、本来の航路の先を見て

 

進んで行く筈の自分の意思に、心に

 

今、立ち返りだしたのだ。

 

本当の自分は、どこへ行きたかったのだろう?

 

 

私は、一体、どこへ向かう地図をもって

 

この人生を歩いて行ったのだっただろうか?