リアルを生きる

北京五輪の誤ち

長い人生の一コマの、ほんの一瞬に賭ける、それがスポーツの祭典でもある。
4年に一度の大会に向かい、人生をギュッと凝縮させ精魂ギリギリまで追い込んだ過程を過ごし挑むことは、誰もが経験出来ることではない。
選ばれた者だけが向かえる特別な世界でもある。
トレーニングを万全に行い、準備万端、用意周到で照準を合わせて大会に臨むのは当たり前だが、誰もが完璧ではない。
筋肉の状態、心の安定、技の仕上がり具合、心技一体ならば実力は発揮されるだろう。
これは調整の仕方で、最後は選手自身の感覚の問題である。

次に外乱への準備対応

競技規則は、大会に都度設定されるもので、そこにも用意周到な準備が欠かせない。

〈競技者側〉
ドーピングは無論、用具、着衣などなど、ルールに従い確認申請は勿論のことである。
スタッフも選手同様、抜けが無いか直前まで確認を怠らないことが肝である。

〈運営側〉
全ての選手に、その競技で実力が出せる公平なルールで、ここがスタートであること。
抜き取り、抜き打ちはアンフェアで競技の成立性がない。
測定者、測定器などの誤差なきことが原則で、事前測定を行い競技前に問題を訂正出来るシステムとして競技者にストレスを与えないこと。

〈大会のあるべき姿)
まず、世界的な大会にもなると、競技場、インフラ整備係わるスタッフなど投資も多大、経営上の利益も必要なことは別の論議としておこう。
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競技者、関係者が多大な時間を費やし、観衆に感動や夢を与えるのが競技スポーツの意義であり、戦う汗や歓喜の涙から、世の中に道徳観も芽生えさせるのが、世界的なスタンダードな大会であるべき。

『ルールは全てにおいて公平である』所から、競技スポーツは成り立つべきであるはずだ。

運営側も、競技者側も、そこを理解して臨むことであろう。

と言う所を踏まえ・・
今後の大会の見直しに期待したい。

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成功と失敗

眼前のリアルを生きよう

長い人生、価値のある生涯にするために、いっときの成功や失敗は泡のようなもの。
起きては消えて無くなる物だが、糧にしなくてはならない。
その成功や失敗にネガティブに論じる人が多いようだが、やらずして言うだけでは何も進歩はない。
良きも悪きも、『諦めず潔く』を、自分に置き換えて行動を起こすならば未来は明るい。
価値ある生き方はそういうことだと思う。