生命の営み

人生90年を生きる高齢化社会、命尽きて荼毘(ダビ)に付された魂は、天に昇られたかと思いにふけた耐寒の日。

人生の後半は、歳を重ねる度に追悼の場に参列する回数が多くなるが、何度経験しても悲しみばかりで嬉しいものにはならない。
生命の営みに、生まれ変わりが有れば、悲しみが喜びに変われるのだが・・

「」「」「」「」

荘子の言葉から

臭腐また化して神奇たり
(腐った土からまた新しい命が生まれるような例え)

草木は役目を果たした花や葉が落ちて、やがて腐葉土となり土に帰る。
神秘的とも言えるその自然の生成力を持って、また新しい生命を作り、芽を出し、蕾を作り、花を咲かせ、葉を茂らせる。
大自然の気が集まれば、花や葉が育ち、その気が散れば腐土となり、その腐土に芽を出す気が生ずる例えで、一つの気の働きとも言われる再生の営み。

人間の生命も同じ、天地の気が命を育み、気が散れば死となる・・と、荘子は唱えた。
死後の魂は、天に召されても生きてやがて何処かで新しい命が生まれる・・と伝えている。

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生と死が連続して一気の働きとみれば、生死のために、心を痛めることもない。
人間もまた植物の様に、生きて死んで、永遠にこの地球の何処かで再生を繰り返し自然と共に生き続けるのだと荘子は言ったとか・・

前世は「誰だれだった」なんて、占いによく有る話し・・
気が命を育み、気が散れば死となる命の再生の繰り返しの荘子の唱えに通ずる。
今日、天に召された命はいつか何処かで生まれ変わるのかな・・?