教えと学び
(ガレージな夜833)


ボランティアの中から

自分の時間を仕事に捧げ、その報酬として対価を得る、これが労働でどちら側も責任を果たすことで平等になる。
しかし、スポーツなどで子供達を育てる時に、その報酬を期待せぬこと。
汚れた大人社会の垢を落とすためにも、子供と向かい教える中で学びを得ることが大事。

学校生活は、教育のプロが何年もかけて学芸と心身作りと集団行動から、社会性を教え学ばせる場である。そこに、報酬がある訳だから責任がある。。

ボランティアの中での学びは、学校教育の場と違い義務もなければ責任もあまりない。
でも、そんな拘束のない中だからこそ教えられること、学ばされることが多い。

子供達は学校から帰宅し、クラブ活動へ参加し指導者から教えを被り、心・技・体の向上を学び、自分の得意な分野に磨きをかける。

時が経ち、今まで出来なかったことが自然に出来るようになっている。
なんだか凄く上手くなったような気がして、少し有頂天になったりする。
すると、練習中の姿勢に緩みがでる。
指導者は観ている。
言葉づかいに、靴の脱ぎ方、服のたたみ方、鞄の置き方・・準備と片付けの曖昧(あいまい)さなどなど。
おい、その緩んだトレーニングの仕方は何処で学んだ、と問い正される。
日々の積み重ねの甘さが言葉づかい、靴、服、鞄の整理整頓に現れ、出来るプレーを出来なくし成長にブレーキをかける。
日常の生活態度がプレーに表れるということだ。
そんな事を嫌と言うほど聞かされ、少しづつ学んだOB、OG達。

学んだから、ちょっと自分の気付きを学ばせる為に、後輩指導。
今までコーチから沢山の技や考え方などを教えてもらい一通りのプレーが出来るようになった。
その今現在の自分の実力を知るためにも、後輩へ技を教えるということを行う。
教えだすと、自分のプレーの見直しになりセルフトレーニングになる。
ということは、教えていたつもりが、実は自分への気付きで学びとなる。
ある意味、動きの悪い大人が口であーだこーだ言うよりも、実戦でキレ良く動ける子供同士の技の伝達の方が、小さなお子さんには食いつきも良く理解しやすいだろう。
生きた教材が目の前で実践する、それを真似て学ぶことが何よりも効果的だということである。

つまり、教えるということは、学んでいるということなのです。