Destination of tears(涙の行き先)

(ガレージな夜815)

何かに賭ける。

春の訪れを待つ季節、進学の入学式、会社の入社式、各イベントなどなど・・折角のシーズンがコロナで延期やら中止やら。
まずは安全第一の自粛対応。

本日もOBが遊びに来てくれました。
ボール遊びが上手いと観ていて楽しい。

さて、シーズンが再開せれれば、またそれぞれの年代でいろいろな戦いがある。
戦いにはそのドラマの結果として勝者と敗者が存在し、喜びに感泣したり、届かなかった思いに悔し涙を流す。
その涙の訳は、向上心と失敗の数や、努力に向かわせた沢山の汗を流した思いに発する。
反面、努力が薄かったり、適当にごまかした練習では涙は流せないということ。
夢に向かい「あんなにやったのに」、「大変だった」、そんな熱い思いがこみ上げ涙が頬をつたう。

必死に頑張ったその涙は、勝者であれ、敗者であれ美しいもの。
それは、努力した輩しか上れないステージまで来れたのだから。
努力もせずにただ遊んだ者には、絶対そのステージにすら向かうことは出来ない。
大切なのは、涙の結果ではなく、それまでのアプローチの重み(量)にある。
アプローチの重みの涙が有れば有る程に君は成長していく。
今現在、努力しても敗者の涙が多くても、その積み重ねが君を成長させる。
努力した涙の行く先はいつか笑顔になるはずだ。
自分にひた向きに向かう、頑張る輩が大好きだ。