修行の日々
(ガレージな夜517)

再投稿

若い時代には、身体を通して荒修行をする一時期がなければならぬ。
人間が鍛え上げられないで、大業を成し遂げることは絶対にあり得ない。
(森 信三)から

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若い頃に体験する様々な事を経験値(修行)として捉えて行けば、より濃くが求められる。
「鉄は熱いうちに打て」と言うことを「荒修行」に例えるなら、打たれた鉄は刃金のような
切れ味になり世の陽を浴びることであろう。

そんな独自の解釈をしてみた。・・・以下散文

陽のあたる場所に出たいのなら、陽のあたらない場所で長くじっと我慢して、チャンスを待て。
影、日向(ひなた)は、月をも見れない暗闇や、陽炎(かげろう)くらむ白昼(はくちゅう)にかまわず、己に向かう表裏一体の時。

向かうべきは己であって、他人の援助を求めるべきではない。

戦う傲慢(ごうまん)さは弱さを打消し、一瞬のひらめきはインテリジェンスを表現し、躊躇(ちゅうちょ)しない判断はスピリッツに向かわせる。
これらは、向かう時に欠かせない自己の推進力だから必要な場面では遠慮は無用だ。
戦うための準備段階(練習)は、辛抱や我慢が多く忍耐力を必要とし、その経験した分だけが、いずれ何処かでチャンスを生み出すための力になる。

チャンスはいつ訪れるか・・・
チャンスはいつ掴むか・・・
それは、誰にも分からない・・・
言えるのは、チャンスは人に与えてもらうものではなく、自分で掴むものだという事は明白だ。

だから、いつでもその時を逃さない為に準備をしておくことだ。

準備には長い根気が必要だが、その途中の自分の前に今だ道は無し・・そして陽もあたらない時間が続く。
道はなけりゃ自分で作ればいいし、陽があたらなけりゃ、あたる工夫をすることだ。

人それぞれの道、人それぞれの陽のあたる場所、それは自身の努力の積み重ねの先に現れる。
だから、ひた向きに続けてやるんだ!

いいかい・・

陽のあたる場所へ出たいのなら準備を怠らず、絶対あきらめないことだ。
泣いてなんていられない、たった今から少しづつ前進だ。

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