指導の心得は、

やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやれねば人は動かじ。

++++山本五十六の言葉から+++++

独自の解釈であるならば・・
ああしたい、こうしたいと、雄弁に自分のポリシー語るだけで、実際に行動しないのは説得力が無い、やらずして語るべからずと言う事。
暑い夏の日のグラウンドの雑草を黙々と取り、寒い冬の日のグラウンドの小石を黙々と拾う指導者がいる。
選手が少しでも良い環境で練習出来るように、グラウンドに早く出向き影日向の献身的な行動だ。
教育する、育成を行う・・と言うことは、直接的な言葉の伝達だけではない。
学ぶ人は見ているから、行動する無言の背中が時に何よりもの学ぶ為の教育になる。

生徒達が、そんな大人の背中を見て何を感じるか、何を感じて学びとるかだ。
そこを狙って育成することが大事だ。

学ばせる事を知っている指導者のいるチームは、選手の思考が育ち行動が凛として来る。
自主自立を育てることは、そういう地味な行動から始まるのだ。
会話というコミュニケーションは大事だけれど、言葉の押し付けはいらない。

何を学ばせて、褒めるか・・

努力という過程を学ばせる。
そして、結果だけを褒めない、努力したことを褒めることが肝心だ。

やってみせ、言って聞かせて、させてみて褒めての意味は?

何を褒めるかがポイント!

たまたま上手く行った結果を褒めてばかりじゃ、天狗になるなんて言うのは、努力の過程を見ていない結果・・
上手くいかない時の、なんとかしようとする、次への努力をしている時こそ褒めるポイントであろう。
普段はあまり多くを語らず、手取り足取り教えず、向かわせて思考巡らさせて学ばせる事が最善だ。
そんな時こそ、指導者は黙って背中で何かを伝えりゃいいのだ。

くれぐれも、自分を棚に上げた押し付けの教えたつもりはいらない・・
伝わらない薄っぺらな学識者もどきの理屈も不要だ。
自分の前にまだ道はない、過ごした苦難と、こぼした涙と汗が心を強くし、踏み出す一歩を生み出しやがて道となる。
その粘りと情熱と真剣さが行動に現れ、人を学ばせ成長させるのだ。