☆サッカーの1ゴールは、チームのために『心一つ』にした集団の産物です。

ホームランや、ヒットでランナーを溜めて一度に大量点を取れる野球と比べ、サッカーは1試合で1点を競い合う事が多いスポーツ。
いかにミスを少なく連携してゴールへ向かい点を取るか、ゴールは気まぐれでほとんど当てにならないスポーツである。

集団の中で自分を見失わず、努力を怠らないことが選手の技量を高めて人としての資質をも高めて行くが、試合で活躍して周りから「ちやほや」されて、「自分は上手い」と勘違いして有頂天が続き努力を怠り、いつの間にか消えた選手は数知れず。
周囲が「ちやほや」して甘やかすことは、選手の成長の邪魔になることはあっても役に立つことは一つもないから、苦しい時こそ逃げないで自分に向かうことである。
苦しさから逃れ、自分に課せれなくなった者の行く末は知れています。
成長期で、まだ判断力に自信のない年代に至ってはなおさらで、諦めて迂回するか、しないかが、その後の人生の分かれ目となる。

☆選択を誤らないために

有名高なら上手くなるとか、手取り足取り面倒看たらエリートサッカー選手が育つという浅はかな発想が選手の成長の妨げになる。
選手は周りの人の支援に頼らず、自ら考え行動して、人として一人で自立することに意味があり、サッカー選手の枠を超えて立派な社会人になる。

育成年代の子供たちは、サッカーから観る夢に向かい、あきらめないで頑張れる、自分で考えられる大人になる為の大切な修行の真っただ中である。
その過程で「大会で優勝した」とか「県選抜だった」とかの自慢話は過ぎ去った過去のことで、そんな肩書きはこの先役に立たないと理解しておきたい。
彼らが大人になっていらないものは『過去の栄光』、一番必要なものが『頑張りぬいた経験』で、逆境でもここ一番に踏ん張れること、頑張れることである。

日々のつらい練習で希望を失いそうになる自分を励まし、自信過剰でおごり高ぶる自分を自省しつつ今日も練習に汗を流す、そのひた向きさが成長するための肥やしになる。
育成年代は学びの時、自分の実力のみが通用する現実に立てるために、苦難に諦めないで努力を継続すること。
やがて来る将来でも、必要なのは何よりもサッカーを通じて頑張れる人になることである。