私が地震にあったのは、会社の中。
かなり新しいビルなので、ゆれる?免震構造になっているのか7Fにいるのにも
かかわらず、かなりゆれて・・
揺れる時間が長かったのでさすがに驚き、机の中にもぐることにしました。
すぐにテレビをつけて、さて子供たちが心配です。
急ぎ実家の母に電話をしたところ、何度かリダイヤルをしたところでつながり
横浜もかなり揺れたとのこと。
横浜駅にある銀行にいたとかで、横浜駅付近のビルからはわらわらと人が出て
きていたそうです。
ただ、とりあえず倒壊とかそういうのは起きてないとのこと。
周りに帰っていいですか?と聞いていると、
いいよ、と言われたり
ちょっと危ないから出ないほうがいいんじゃない?と言われたり。
そうこうしているうちに、あまりこの地震を共感してくれる人がいないのですが
2度目の余震?新しい地震?
茨城沖が震源地のものがやってきて、今度は立てに揺れます
横に揺れるのはもちろんわかるのですが、立てに揺れるのがやはりかなり長い時間で
言ってしまえば、いすに座っているとアトラクションの乗り物にのっていて
下からどんどこ突き上げられているような、そんな感触なのです。
これがやってきて・・・
さすがにやばい!
と思い、即母に電話。
帰宅にこれはかなり時間がかかると思って、とりあえず子供たちを迎えに
行ってほしいと要請しておきました。
この早い判断は後々考えるとよかったです
子供たちは、全生徒の中で10番目以内くらいのお迎えだったそうです。
さてさて余震が続く中・・・
ずっとテレビを見たり、夫に連絡したり・・もう仕事にはなりません。
電車はもちろん運行を取りやめているので、何もできません。
トイレに行くのも少しどきどき、廊下に出るとエレベーターがある場所はシャッターが
しまっており、階段も閉鎖されていました。
安全が確認されるまで7Fフロアに閉じ込められてしまったようです。
社内も特殊な加工をしている壁や天井が落ちたという話もちらほら聞きます
けれど、津波の被害を伝えるテレビが始まってくると・・・
自分たちはある意味「助かった」と思わないではいられませんでした。
夕方になり、子供たちも無事に実家へたどり着いたということも分かり
夫とも連絡がとれ、弟たちとも連絡がとれ、みなそれぞれ違う場所だけど
皆何事もなかったということが分かりました。
だんだんJRは動かないという雰囲気にもなり、、私も長丁場を覚悟し始めました。
これは食料を確保せねば、、という気にになり派遣さんと一緒に下へ降りることへ!
判断がそれなりに早かったのが良かったのか、とりあえずスーパーに
カップラーメンやお菓子はたくさんではないですが残っていました。
皆の分を代表して購入することになりましたので、カップラーメンを2ケース。
7Fまで抱えて上りました!
息切れせず、途中止まらず!
やっぱり日々、息子(15kg)を抱っこしてるのが力になっていたようです!
母は強いですね、ホント。
自分で実感しました!
さすが!!
それからしばらくすると、JRが早々と運休を決めました。
え?!
もう私帰れないじゃん、、どうするの??
超あせりました、こどもが無事だとわかっていても都内と横浜の遠さを
こんなに痛感したのは初めてです
歩いて帰りますという人も出始めて、でももちろん私はそんな距離じゃありません。
一人夜道を歩くなんて、それはそれで危険です
目の前のビルに勤務している弟に連絡をして、かえるようだったら絶対
おいていかないで!!!
と念を押しておきました。
うだうだと時間がすぎていきます
どうも父親が迎えにくると言っています
大混雑ゆえ、来ても仕方ないよ・・・と言っているのだけど
もうせっかちなので、家にいられなかったのか23時半頃出てきちゃいました
赤坂へは下道で来たけれど、結局24時40分頃に到着。
くだりはそれほど混雑していなかったようです
信濃町にいるもう一人の弟と合流し、兄弟3人そろって父の車に乗り込み・・・・
到着したのは4時でした
絶対私は子供たちは普通におきる、、朝眠れないはず、、、と
思って車でうとうとしちゃいましたが、ありがとう父!
震災初日はこんな風にすぎていきました




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