2010 欧州経営大学院留学 (ヨーロッパMBA)


広角にポジションをとる。



3種類の人がいると思うんです。


他人の話しを聞けない人。
他人の話しに同意できない人。
他人の話しにいつも賛同する人。


「うん、そうだよね~」と相槌を打っておいて「ところでさ・・・」と別の話しに持っていかれると、がくん、と力が抜けますね。話しを聞いてくれない人には話しをする気にならない。自分がこういう人間だと思うとぞっとします。他人が喜んで話しをしてくれる人間になりたい。そのためには、自分自身が聞くに値するストーリーを持っていなければならないし、優れた「聴く耳」を持たなければならない。他人の話しを聞けない人、は論外です。



最近、とっても頭のキレる人々の多くが、常に他人の話しの逆側にポジションを取ることに気づきました。

「僕は日本のプロ野球がメジャーリーグを商業的に越えることは在り得ないと思う」「でもメジャーリーグだってさ・・・」
「このサニー・サイド・アップは格別に美味しい」「でもこないだホテルで食べたのはさ・・・」


そりゃ、テニスだったら2人はコートの別サイドに立たなければテニスにならないし、囲碁だって相手の手にうなずいていたって試合は進まない。自分の存在をアピールするために「逆張り」をしているんじゃないか、って勘繰りたくもなる。だけどさ、そんな生き方って疲れないのかな、と思う。



僕?僕自身は、他人の話しにいつも賛同している人。よほど確証があるか、反対することにおよそのメリットがあるときしか反対しない。これも問題だよね。別の角度からの議論があった方がより洗練された結論に近づくことができる、って考える人が多い。民主主義の信条。



だけど、本当なのかな。2人だったらジャッジがいないじゃん。優れたジャッジの力がより良い結論をもたらすのに、2人だったら声の大きい方が勝ってしまう。そして、負けた方が戦意(モチベーション)を失う。それだったら、最初の意見が正しくても間違っていても、賛同して盛り上げた方が良いケースがある。



結局は、2人の心にいるジャッジの存在が成否を分けるんだよね。



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