己亥の日(人生の棚卸しをしてみる)
50代:恩師と祖母と永遠の別れを経験した。不動産仲介業を始める。宅建の勉強中。昭和100年。同窓会があった。
40代:結婚をした。正社員を辞めた。栄養士として転職を繰り返した。仕事は面白いほどできるのに、人と上手くいかなくなった。人生に反抗した。気がつけば、自分のやりたかったことをやっていることに気がついた。陰陽を勉強したいと思った。いろんな薬膳の教室へ行ってみた。なんかが違うと思いながら。算命学を学び始めた。
30代:管理栄養士の国家資格に挑戦した。栄養士の専門学校へ行った。泊まり込みのアルバイトを経験した。就職活動で若い奴以外はいらないと言われた。給食会社に契約社員として入り、大学病院の厨房で勤務することになった。朝の4時から勉強し、6時から働くようになった。体のことを考えて、バレエを習い自分の体を作ろうと考えた。友達が肺がんになったことを報告してくれた。何も力になれない、救えない自分に悔しさしかなかった。
使える栄養士になりたいと思った。人の人生に役に立つ自分になりたいと思った。同窓会があった。
東日本大震災の日、ビルにいた。よく揺れた。帰ってテレビをつけて、津波で車が飲み込まれるシーンを見た。
20代:健康管理センターの事務にコネ入社する予定で面接を受けた。履歴書から情報処理室へ配属されることが決まった。少ない人数の部署だったが、賢い人ばかりで自分の能力の無さを思い知らされた。自分には何ができるのか?周りの人の能力が全て羨ましかった。何物でもない自分がそこにいた。社会人1年目。祖父が亡くなった。
ちゃんバーが亡くなった。最後にかけた言葉が悔やまれる。ちゃんジーも亡くなった。
2011年ツインタワーに飛行機が突っ込むシーンをテレビで見た。その年の冬、NY経由でブラジルへ行った。
10代:全国津々浦々の違いを知る。暮らしてみると同じ日本でも全く違うことがあることを知る。南西沖地震に遭う。死ぬと言うことが身近に感じた。その後、テレビの中の人が「神戸には地震が来ない」と言った。その時「よかった、おじいちゃんたちは大丈夫だと」思ったことを鮮明に覚えている。その後、神戸ですぐに震災があった。火の海になる映像に悔しさが込み上げた。
10代以下:親元を離れ、寮生活を始める。つくば万博で未来の自分に手紙を書いた。
これからの人生のために過去を眺める。いつの年代も先のイメージはなかった。
ただいつも自分の無力さを感じる瞬間があった。
できることが少し増えると、それ以上の絶望を感じる瞬間があった。
今、言えることは、「絶望は希望のスタートであった。」
守りたいものが守れないのだから、スタートするしかなかった。
食べることは生きることだと思うのは、死から与えられたことを自分なりに意識しているのかもしれない。
つまり、いつだってスタートするしかない。と言うことだ。そこに私の良さがある。
さて、今後は場所を作りたい。人が何となくやってきて、何となく元気が出て、何となく前向きになれる
そんな居心地の良い場所を作りたいと思う。
そのためにできることをまたスタートさせていこう。
今の自分になろうと思って、進んできたわけじゃない。でも嫌いじゃない。
2026年は下座からスタートしよう。何度もスタート地点を踏めばいい。
きっと一年後、今とは想像もつかない自分に会えるだろうから。

