小生はヤフオクのパトロールを日課としている。

 主たる捜索・監視対象は近世から近代にかけての書画であるが、時折、研究者根性が顔を出して研究の素材となるかならないか、それすら不明瞭ながら“何らかの資料”には違いない有象無象(モノに失敬な言い様だが・・・)に目が留まり、入札ボタンを押してしまうこともしばしばだ。

 

 この度も、明治期の俳人の句集、それも本人自筆のものと思われる作品ノート7冊セットを落札した。

 

 

 

 

 

 

 

 『落葉集』と題され、非常に小さくも丁寧な墨書きのノートである。

 成立時期は、明治38~41年である。記主は、奥村直行、号は白鶴

 

 一巻の一頁目には次のように記されている。

 

   奥村直行、字良哉、号秋山

  明治参拾年行年六拾貳齢、歌道を捨て始めて俳諧の道に学ばんと思い出して、月の都清水の里田野口村小林只造氏は私か養父なり。   俳諧を好み白鶴庵有隣と号す。良哉父の号を続ぎて(ママ)号白鶴庵有隣

     明治三十八年

 

 62歳にして歌道から俳諧に転向し、俳人であった養父の号「白鶴庵有隣」を継いだという。

 

 現時点で奥村直行も、小林只造も何者であるか調べはついていない。

 「田野口」とあるのは、現在の長野県佐久市田口にあった田野口村(田口村)のことかと思われる。

 同村には、名主の小林家(国文学研究資料館に」が収蔵されている)があり、小林姓の家があった模様。

 

 ヤフオクの出品ページには、「明治天皇の側近や陸軍参謀と交流があった」と、前週に出品されていた本資料の片割れに基づく出品者の説明が載っていたが、その片割れを見ることが叶わないため、詳細は不明である。 

 

 ちなみに、本資料は記主が信州から東京赤坂一ツ木町へ移住した時期にあたるらしく、東京移住後は「老松庵白鶴」を名乗っていることが分かる。

 

 

 

 

 いずれにしても、これから中身を読み込みつつ、登場する固有名詞を丹念に拾いながら記主の正体と、俳諧を中心とする彼の足跡を辿ってみたいと思う。

 

 尤も、俳諧そのものは小生の研究テーマではないし、この先も本格的に立ち入るつもりもあまりない。

 文学研究者の手に落ちれば、明治俳諧史を研究する素材となったであろう本資料だが、小生としてはある明治人の生活を明らむる生の素材として、これから時間をかけながら向き合ってみたい。

 

 もし、何らかの情報をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひ御教示を乞いたい。

 

 

*画像はヤフオク出品ページより転載