Living with myself

Living with myself

ADHDグレーなのかもしくはHSPなのか。何となく生きづらさを感じながらポジティブ心理学学んでいます。

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コミュニケーション力か表現力か。

 

誰かに何かを伝えたい時、もしくはそんなシチュエーションが起きると予期していなかった時にふと、私自身の行動や考えについて聞かれて、言葉に詰まる、そして適当に答えてしまう、ということが度々起きる。

予期せぬ事に対処、反応しにくいのだ。

 

 

今日も、何のためにそんなに必死に勉強しているの?

みたいな質問をされて、答えられず、ボソボソと、いやー子供たちの教育にも使えるし。何て答えたけれど、こんなの日々自分でも自問自答していることだし、10でも20でも理由は後付けてあっても出てくるのに、全くもって言えなかった。

それでいて、私を理解して欲しいって気持ちはきちんとあるから、帰り道、ああ言えばよかったな、こう言えば良かったな、なんて相手が何も気に留めてないことを延々と後悔として頭中を渦巻く。まあ、いっか、って思えないのは、やっぱり他人認証が欲しいからなんだって分かっているけれど、いつもそれを上手に表現することができない。

普段の生活にして然りだ。

基本、言わなくても行動で示す!って格好良さそうだけど、単に上手く自分を表現することができない。大体にして、行動も伴ってるわけじゃなないから、自分レベルで頑張ってるけど、もともとが要領いいわけじゃないので、自分としては100%もしくはキャパオーバーぐらいに頑張っていても、それを大丈夫って言いながらやっていて、どうにか人並みだから、そこまで頑張っているようにも思われていないと思う。そしてそれをうまく表現できていないから、何となくやってます風。

だから、周りにいる自己表現上手い人や要領がいい人を見ては、それを厭らしいと思ってしまうわけ。単に無い物ねだりなのかもしれないのに。

自分のことを過大評価できる人とか、1を10に伝えられる人とか、内容伴ってないし、って思っちゃったりするけど、単に自分が自己表現できないことへの妬みなのかもしれない。

 

なんにせよ、この世の中、自己表現できないと損するのである。

 

じゃあ自己表現とは何ぞや?

 

先日とあるやりとりで、私の学校の課題に対するコメントを頂いた。共感できないので、協力できません。

課題内容は自己満足の内容で、それに対するお願いだったので、気分を害させてしまったことを猛反したのだが。共感について考えてしまった。

 共感を呼ぶ、共感が必要。確かにみんな誰かに何かに共感する。共感させるにはそれに伴う自己表現が必要だ。私はこれをやっている。これをしたい。こうなりたい。それに皆共感する。

ブログ一つでもそう。あなたの考えに共感します。あなたの買ったものいいね。やってること素敵だわ。そして共感されなければいけないのだ。

そうそう、学校の講義もそう。

自己満足で説明してる先生の話は眠くなるほどつまんない。頑張って集中しても、途中ついていけなくなっちゃう。が、共感呼ぶ先生の話は引き込まれちゃって、涙してる時すらある。この違い。

 

私のブログ。

共感なーい。単に聞いて、聞いて、ブログ。私こんな大変だったの。こんな凄いことしたの。でもそれって自慢するほどでもなくて、自分レベルで自分が疲れたーとか。自分がいっぱいいっぱいなのー、とか。単に吐き出しレベル。共感を呼ぶとは程遠い。共感必要?って思ってる時点でブログ書く必要なくない?ってことになってしまう。

(だから実際これもワードに吐き出してるだけなんだけど)

 

自己表現上手くならないと、人とのコミュニケーション円滑にできないなあ。って思う。私です!でーん!見てください!でーん!ができないと友達も作れないのかな。きっと多くの人はでーん!の人が好きなんだろうな。って思うこと自体がHSPなのか。

自己表現できなくて、承認欲求がなくても、私です。と思える自分でいた方が私らしいのでは?

ここをきちんと決めて生きた方が、私的には生きるきやすいのではないかと思う。