キャリアドリフトォ!

おはようございます!(書く作業自体がアイデアを生んでいくんですの。一言のつもりが、予定より17倍くらい長くなってしまった)

電車の網代に大きいバッグかなんかを乗せ置こうとして、そのとき手前の手すりごとグッと押しこんでバッグを乗せた後
その押した反動で手すりが振り子の原理よろしく返ってきて
おでこに激突した経験ってございますでしょうか

このまえ僕は30分の間に二回したんですよね!山手線と銀座線で!お!

人体の仕組みを完全に把握してから、初めて動き始める人はいるのか(テーマ)

書いて見てねえ(今回の僕も、雑念に余念はない)この内容は
よく読んでみたら
槙原敬之の、どんなときも、って歌で全部すむことが判明した。
時間がない人はどんなときもを改めて歌詞みながら深く聞いてくれ。とってもいい歌だ。

そして自分の伝達能力の無さにやるせなくなった暖かな早春。

(「やるせない」の反対語って「やるせる」なんでしょうかね。

やるせない、っていつ使うのかと考えると
一生懸命に頑張ったけど結果、努力の方向が違ってたりとか
どうにかしたいけど、どうしようもないときとか
因果関係の空間が違ったりしたときに使用すると思うんですけども

じゃあそれでは反対に「やるせる」を考えてみる

不意に
自分のしてきたこと、進んできた道が、何かのきっかけで「これは正しい!」と、固く、ガチッとハマったと感じたとき

言わば

赤木が海南の牧紳一をしても、自分の能力が通用することがわかったとしたあの感動の瞬間

ワンマンチーム、1人で部を鼓舞し続け、何年間もの先の明かりの見えないトンネルの中で努力したあの日々が
県下の強大な敵を前にしても、間違っていなかったと確信できた
過去の全てが実ったとわかったとき

ふっふっ、オレはぁっ、俺はっあの牧紳一にだって負けてないぞ!!

『やるせるっ、、、!やるせるぞぉぉー!!』

うぁぉおぉおぉー!!!!

って表現になるんですかねえ)

初志を貫徹するためには、時には不確定要素を盲信できるガッツも持ち合わせたい、と

そのために最低限の己の基準を定めたく

僕の選択の絶対的な判断基準は他人にある。マーケット思考、ということだ。
当たり前だが、自分が考える自分ほど身勝手な主観はないからである。

あと今までの人生で、僕が僕の理想の自意識の中で、何度、何度自身に失望したかわからないからだ
(『僕』『自』のおそろしき多用。思春期なんだろうか)

よく
『自分を信じろ!』
といった言葉があるが、僕にはなかなかどうして簡単にできおおせてしまうものじゃない

既に自分の信じること知ってること聞きたいこと喋りたいこと感じたいこと、しか自分に受け付けなかったら
その世界はどこまでもどこまでも狭く薄くなっていってしまうと思うのです

(時代とともに、、薄くなるのは液晶と友情ってか。

 

なんだやめろこっちみんな)

自分の信じる道を行け
っつっても大概は誰かが草分けてくれた既存の道の組み合わせをいくわけです

(スティーブジョブズも言ってたじゃないですか

新しいアイデアなんてものはこの世にない。全ては組み合わせ、だと)

その中でたくさんの障害があって、ぶつかって、横にそれて、すすんで、よろめいて、あっちいって、うねって、こっちいって、
若いころにゴチャゴチャゴチャゴチャしていった道こそが、とっても末広がりな『幅』になって、
広い角度からドンドンドンドン大きく広がっていくはずだと思うわけです

(畝 ウネウネする うねる。漢字で書くと
畝る なのかな)

なのでじゃあ
仲のいい人でも悪い人でも変な人でも、
(変な人はけっこう好きだ。変態って、おかしい言動になったいきさつを知りたくなりますよね

よく、善くないイメージの時に
「親の顔が見てみたい」(何度変換しても
『小谷野か尾が見てみたい』ってなる。小谷野って誰じゃ。)
っていいますけど、ぼくが親の顔が見てみたくなるときは、とっっっても素直な人を見つけた時。
なんでこんなに素直に、真っ直ぐなんだろうとすんごく思う。

うるさい僕は変態じゃない

光浦靖子がアメトーークで
『治そうと思っても治せないもの、それが個性!』
って言ってましたね。さっすが文学少女

やっぱ本読んでる人はいいですよね。機能的にメガネかけてる感じと、幸薄そうな感じと、ジーパンが、、、(やめときましょうか)
僕は読みたい読みたい言ってるだけであまり読めてない。悔しい。はやく落ち着いて川にせせらがれたい)
変態、
自分とは全く違う感性に自分のパラダイムみたいなものを強制的にこじ開けてもらう機会を、より大切に、より享受していけば
より豊かに、より多数的な生を展開出来ると思うのでせ

そのために
鎖骨の下あたり(特に意味はない)に装着しておく覚悟として
運命は可塑的である、という前提をなじませたい

そして僕が自分を信じるというものに似た言葉を標榜するとすれば

過去、訪れた逆境みたいなもの
そしてその苦しい時を乗り越えた経験などを誇りに思う

出来るんだ!!
って思い込むようなことは、すっごく大事なんではなかろうかと
(まったくどの立場が喋ってんだろう、といつも思う。まあ、まあ表現することが大事じゃないですか、ね。
言論は自由じゃ!万機、公論に期すべし!)思う近頃でござる

とそこで
「根拠が少ないものを信じてみる」ことって本当に高度で、勇気が必要で、すごく大事なことだと思うんです。

うまく言えないんですが
じゃあ
例えば、なんでもいいから確信が欲しい、と!
なぜ!なぜ!

みたいなものを全て一番奥のとこまで解き明かさないと溜飲が下がらない!と言う人にはですねじゃあ

こんなありきたりな命題を

「なんでこの人はこんな性格なの」

こーんな題目があったとしますね例えばですよ例えば。

ワイワイ攻撃(WHYWHY、子供を育てる上でこれが一番大切にすべき概念だと思うんですけどね。why。いや、あ、机上でしか推し量れない22歳ですみません。)するじゃないですか

それに対し、どのステージを言及するのかというと

1個の人間性なんて大概が家庭環境で決まって、ほとんど親が育てたように子は育つものじゃないですか
決め手は幼少期の茶の間でのコミュニケーションの量

それでは
この子の性格の原因はこの親にあり、それではこの親の原因はその親、いや家庭の経済、いや世の景気、情勢、政治、日本、第二次世界大戦、アメリカ、移民、奴隷、貴族、文明、競争、生物、地球、ビッグバン、宇宙、etc,,,,

突き詰めていくと必ずここまでいきませんかねえぇぇ。(それか、男女関係。アダムとイ、、、そこに付け入るとファンタジックに長くなるのでやめます)
ぇならないですかそうですか
それはやんごとねぇ

そんなそれらがね、しっかりと解き明かせない限りこの世に確定事項なんて無いと思うんですよね

どうでしょう、そんなことを巡り巡りこじらせた時期ありませぬか

果てしない連想の末に、自分の存在価値みたいなものをどこまでも模索し掴みたい時期
その過剰な自意識を、思春期、とこの日本は定義し呼称するのですが←ぷ
(果てしない、とか、どこまでもとか売れ線J-POPのよう)

なのでどこかで、どこかで、ポコっと不確定なものを信じる力が無いと生きてけないわけです
ます
知らず知らずに

じゃあ
人体構造学をすべて習得してから、よしなるほどっつってまず右足からだなその次は左股関節を意識して脳のこの電気信号とこの運動神経を、、
みたいな感じで生後10カ月くらいで記念すべき第一歩を踏み出し始める赤んぼうなんて、あまりいないでしょう

食べるもの飲むものの栄養素 (栄養、とは消化吸収排泄のこと。栄養素、とは食べ飲みモノの中にあるもの。
それが、どうした。んだ。お?やんのか? )を全て解析して、
アミラーゼがぁぁ、ラクターゼがぁぁぁ!ランゲルハンス島がぁぁぁ!(いかした名前、最高だよね。)
つって体内で行われる様々な効果を把握してから、よし!っつって初めて食べ物を口に入れる人なんてあまりいないでしょう

就活時に、希望する企業の決算書、貸借対照表、株主なんちゃらなんちゃら全てに帳簿閲覧請求を求めてから
(就活狂騒曲ってなんかオーバーなアジテーションで好きじゃないわ。まあ流行っては良いものだと思うんですけども)就業する人なんてあまりいないでしょう
(おい!ちょっとよくわからんぞ!)

っていうか多くのことが無理なんじゃないですかねえ

基本的に
大体のことが、なんかよくわかんないけど何回もやってみたからなんか出来ただけであるのに

何かチャレンジするときに、何かしてみる前からゴチャゴチャうるさい人がファイヤー多い。
世の中のなんにも解き明かせないのに

もちろん無理するか無茶するかは違うし、ストラテジーとタクティクスも違う(ここを英語で言いのけるあたりが思春期)
 

なので
その不確定要素の段階をどこに設置して、どう踏ん張って、どう展開していくかってお話。

(みたいなね。こういうこねくり返した観念のみで、
ここで絶対に終わらせちゃ行けない。
大概の最近の氾濫するニュースキュレーションサイトみたいなのの記事はなんだか大体こういう感じで話が終わるの。

で、で?、ってなりません?つまり、つまりなんだってばよ、って。マジで。

大風呂敷というか
WITに富んでます実用的ですみたいな小面憎い見出しつけて、なんとなくな情報だけで中身が無い記事が多すぎて
ワタクシは、オ?ウェイストオブタイム!とハイテンションなまま虚空に口をおっぴろげたままになってしまうことが多い。

なんだか
ソモソモの思想、主張がある上でデータや統計値を「具体例」としてあげる、のではなく

真新しく意外性のある事実みたいなものだけを偶然こさえて、それありきで、人々のちょっとしたなるほどを積み上げてドヤ顔していく
のが今の時代に散見される

へーっつって、なにもおもしろくない

へー

で?

っていう

そんなこと
オーケーグーグルっつったら(この前これを一生懸命に言ってるjkが駅にいまして、なんとなく、なんとなくとても、ほほえましくなったんだ)一瞬でいくらでも出てきますけど、みたいな。

そこで僕は自身で勝手に設定している、読みたい文章の基準がある。(まーまーここまで読んだら聞いてよ)
クレーム(主張)があるのは大前提として

ざっくりとねざっくりと

1,日頃の生活から着眼する不満疑問点に、少しでも論理的に憤りを覚えているか(感情だよねやっぱり人間関係は)

2,強調、関連、彩色、で見やすい工夫が施されているかどうか(ごめんなさい)

3,そしてそしてもっとも重要なのは、そう、ユーモアなのだ!

論理的にマイノリティな切り口。世界一のバリエーションを誇るであろう日本語の形容詞、副詞の飼い慣らし。関係詞の踊らせ遊び。

ここのチャレンジ、ここの要諦を欠いていたら僕の審美眼は通らない(やっぱ人を笑わせようって考えてる人は素敵よ、ホントに。)

文章で声を出すくらい面白い記事に出会うことは本当にとても幸せで、素敵な空間を感じ、刺激的だ。そういうの書けるって中々に凄まじく、うらやましい)

とりあえずねとりあえず何が言いたいのかっていうと

何かを決めるときに

あらゆる対策を講じようとして完璧に「確定」させようとするのでは無く

現状その場でお腹が減るまで考えても答えが出なかったら、
その瞬間で暫定的に「固定」をして、とにかく進むしかないのである

調合つけてね

100パーセント自分に合った道なんてものはなっかなか行けないですな。まあ100人に1人くらいですかねえわかりませんが

な?そこのげんき、ゆうき!田中も!こらそこの長谷川もだ!

そして

自分の道、得意不得意ってのは誰が決めるんだと考えた時に
「評価を得る」ってものに照準を当てると「自分への評価」ってものは間違いなくそれは「他人」がするものなので。

なので単純に、自分のことはすべて他人が決めることになる。

なので僕はなるべく断らず、強引に僕の既成の甘い何かをぶっ壊してくれる人を恋人のように大切にしたい。変態カモン

さはさりながら今の僕の課題は、自信を持つことらしい

何かがうまくいったら、それはただの過信になるのであって
窮地に追いこまれて逆境に自分を燃え上がらせて得られるものが、本当の自信なんだと思う

とにもかくにも努力を重ねる

なにが言いたいのかというと

『行動あるのみ』ってこと!!!!!

そりゃ修羅場土壇場正念場あるでしょうに

(つまりね、この長い文章は、単なる、単なる己への戒めだったのだ!!!!!!)

最後雑かな

(ちなむと、書いている最中に思いつきで書き始めた()の文章が本文より長くなったものがあったのでまた別の機会としてとっておいた。
時は奏でて思いは溢れるのだ!!)