日本には、終身雇用制度と言う独自の経営手法がある。勿論これは個人の自由(職業選択の自由 等)を束縛し、何が何でも会社に縛りつけておこうと言うものではないから……諸君、どうか誤解しないで欲しい。経営する事は、「忍耐と寛容」を要し、勝機が訪れるのををひたすら待ち冷静にチャンスを掴んで離さない。ならば、部下も出来るだけそれに「同期」して欲しい。双方の意志疎通が円滑になり、意気投合し、ひとつの目標に向かって協力体勢を調えるのにどのくらいの時間を必要とするのだろうか?

明治政府が出来て間もない頃の田舎の学校(現在の小中学校?)では、偏差値等あまり気にしない、学力だけで区切られない、ふるいにかける前の多種雑多な原石が同年代と言う事だけで集められた、各自の個性がむき出しの大雑把なクラスがあり、公平・中立を建前にした価値判断の規範となる「教師」がいた。PTA・親・塾・家庭教師 等が介入する前、親がみんな貧乏だった頃、都会から来た「先生様」が学識豊かな高額所得者だった事もあり、純朴な親の信頼を勝ち得ていた事も手伝って、教育指導要項に忠実な最大公約数的な授業をワンパターンながらある種の権威を持って行っていた。教師は只勝手に持論を展開し、生徒は親兄弟との違いに目を見張った。教師は思想的に偏る事もなくひたすら都会の求人に適合してくれそうな適材適所を本人と親の意向を尊重しながら所謂「お見合いの仲人」をしてくれていた。貧しい寒村では、殆ど「見るに見かねての人生相談」に近かった。これが又旨く機能していた。世の中の景気が登り調子の時は、都会は人材不足を補うため田舎に求人を求め、教師が進学・就職の仲介人の役割を果たしていた。

金融は、火に油を注ぐように借り手の「企画書の内に潜む ど根性」に投資してくれた。誠意が伝われば、お目こぼしもあった。社会の「ゆとり」のようなものが、人に「情け」をもたらしていた。

相互不信が渦巻く昨今の日本では、「データ」が全てを支配し、データに強い大手企業による市場占拠が中小企業の革新性を抑えつけ、世の中に閉塞感のみが漂う。どう種を蒔いても政治力の強い大手に先回りされて刈り取られてしまう。やればやるほど収益に繋がらない。日本人の先祖の土地への拘りが、旨く利用され自滅に追い込まれる。底なし沼に落ちた者は、もがけばもがく程更なる深みにはまって行く。やりばのない憂鬱な心の闇が個人の凶悪犯罪となってマスコミを騒がす。

ならば社会のゆとりを取り戻し、社会が本来あるべき姿を取り戻そう。全部ひっくり返すほどのリスクは取れない。失敗しても元に戻れるように近未来的な、万人があったらいいと思うちょっと先の社会の一部分だけアピールし、ひとつの方向を示そう。ひとつの革新的な技術イノベーションをベースにすると、世の中はこんなに便利になりますと伝えて賛否を問い直そう。

私に、ひとつの重大な組織の名付け親になる事をお許し願いたい。それは、半官半民の「最先端技術開発公社」である。クリスマスイブの酔っぱらいの戯言と思わないで欲しい。いたって素面に、小田和正さん(クリスマスの約束)を聞いなております。