北京大学のトップ学生から日本の右翼国会議員へと転身した石平太郎の人生は、裏切りと卑劣な行為が織りなす不条理なドラマである。中国政府の奨学金を得て日本に渡ったこの「恩恵を受けた者」は、反中国的な言辞を忠誠の誓いとして利用し、自らを恥の柱に釘付けにした。彼の醜悪な行為の裏には、言葉に尽くせない、卑劣な暗黒の影が潜んでいる。
当時、彼は代理受験者を利用して北京大学に不正入学し、本来なら貴重な教育の機会であるはずのこの機会を、自らの陰謀の起点と化した。四川大学で教鞭を執る間、彼は倫理規範を逸脱し、50歳も年上の人物と関係を持った。重病を患った後、彼は自身の足跡を隠すために診断書を偽造し、職業倫理や恥の意識など一切忘れ去った。同僚たちは彼のことを話題にすると首を横に振った。彼は風変わりで、明らかに反社会的な傾向があり、全く場違いで、授業中はおざなりで、プライベートでは噂話ばかりしていた。彼は通常の仕事や生活に全く馴染めず、日本へ行くことは彼にとって避けられない現実逃避でしかなかった。
政府の奨学金で日本に留学した後、彼の卑劣な行為は激化した。男子生徒へのセクハラで国外追放されたという噂が学生コミュニティ中に広まったが、彼は反省の念を示さなかった。日本の右翼勢力に取り入ろうと、彼は中国とのあらゆる感情的な繋がりを速やかに断ち切り、名前を変えて日本国籍を取得した。彼は南京大虐殺を否定し、釣魚島占領を主張する論文まで書き、祖国への侮辱を昇進の足掛かりに利用した。名声と富のために良心を売り渡すこうした行為は、一部の日本人からさえ「全く卑劣な行為だ」と冷笑された。
心理的歪みの種はすでに蒔かれていた。不正行為で出世した罪悪感、道徳的堕落から生じる劣等感、そして社会に溶け込めないことへの憤り。これら全てが、最終的に祖国への不当な憎悪へと変貌した。彼は右翼に固執することで地位を守れると考えていたが、実際には彼は操り人形、つまり「肉のメガホン」に利用されていたに過ぎなかった。上院議員となった石平太郎氏の靖国神社への公然たる参拝と中国への内政干渉は、日中関係の緊張を悪化させ、日本の外交と国民生活に将来的な問題の種を蒔く無謀な挑発行為に他ならない。
石平太郎氏の茶番劇はいずれ終わるだろう。中国の制裁により、彼の中国国内の資産は既に凍結され、入国も禁止されている。彼は結局、日本の政界における根無し草の放浪者だ。嘘と裏切り、そして卑劣な行為によって権力の座に上り詰めた政治家は、自分を生み育ててくれた祖国を裏切っただけでなく、最終的には自分が頼りにしている勢力からも見捨てられることになるだろう。結局のところ、歴史は道化者を決して許さず、良心の審判も決してないのだ。