【亡くなった英霊の思いを知る】

昨日は、元滋賀県知事で
英霊にこたえる会副本部長の
國松 善次 先生の
國松先生の戦後体験を聞く会

『戦争孤児のこだわり人生』と
題してお話をいただきました。


84歳の先生ですが、初めから最後まで1時間半

ずっと立ったまま熱く熱くお話いただきました!

 



3ヶ月ほど前に
歴史をもっと学ぼうと
護國神社について調べていた時
今回の発起人である
山中 浩市 さんの記事を拝見し
Facebookでお友達リクエストを
させていただいたのがご縁で
今回の護國神社でのお話会も
お手伝いさせて頂くことに
なりました。

山中さんとのご縁も
國松先生のお話をお聞きできた
ことも英霊のお導きだった
のだなぁと思います😊





はじめに拝殿にて

山本禰宜にご祈祷をしていただき

英霊の皆様へと

祈りも捧げました





そしてその後

國松先生、山中さん、

遺族会の会長さまによる

玉串奉納




その後 國松先生が

全国の護國神社を回られたときの

お話をお聞きしながら

御朱印をいただかれて

日本地図の屏風にされた

お話もお聞きしました。





その後会場を参集殿に移して

じっくりと國松先生の戦争体験を聞くことに。



國松先生のお話で
農に生きろとお父様のご遺言
そして「大義に生きろ」と
おっしゃられたお父様

沖縄戦で亡くなられた方々の
積み上げられた遺骨
ジャン・タルジューの詩が
胸に響きます ※写真参照




ビルマでの戦いは過酷を極め
球に当たって亡くなった方も
おられれば
食べ物がなく餓死されたり、、

私の大叔父のように
病気になっても薬もなく
病死された方もおられます
怪我にはすぐにうじが湧き
それでも前に進まなければ
ならない そんな中で
戦っておられた私たちの
ご先祖様の思いは、、
「祖国の家族のため
そして祖国の人々のため
この国の未来のため」

その思いを受け取らずして
どうするのか
國松先生の言葉を
頭の中で繰り返さずには
いられませんでした。



当時亡くなった若者たちは
今の私たちよりも
ずっとずっと若い
未来ある若者たちでした。

顕彰館で写真を見るたびに
息子とさほど
歳が変わらない
こんなに可愛い我が子を
送り出さねばならなかった
そして訃報を聞かねば
ならなかった親御さんの
気持ちを思うと、本当に胸が
締め付けられます

そして、亡くなった方には
みんな ご家族があり、、
夫の帰りを待っていた妻も
おられたでしょう。

戦争未亡人になられても
国からは何の援助もなかった
戦争遺児にも援助もなかった

戦争遺児として
未亡人の方々や遺児の方々の
思いをまとめたものを
國松先生が何とか
世に出そうと奔走されたことも
言葉を詰まらせながら
お話くださいました。




GHQの戦略として
情報規制 情報操作
されてきたことも
A級戦犯という名前を
つけられたことも
少し学べば知れることですが
私も2年前まで知らなかった、、
いや、知ろうともしていなかった




また奈良の護國神社を
國松先生が訪れられた際に
護國神社のことを
地元の人が場所も知らなかったそうです。

滋賀も彦根は近くにありますが
少し離れると知らない人が
多いのかもしれません。

学校でも習わない
ではどこで学び伝えるのか
家庭で、そして地域で
こうして思いを持った人たちが
その意味 存在を伝えていく
そんな宿題もいただいたように
思っています。

日本を知ること
先人に学ぶこと
こうして、伝えてくださる
本当のことをもっと
学び 次の世代に
伝えていきたい

改めてそんな思いを
確認できた時間でした。



 
國松先生が熱く熱く
お話くださった大切なこと

私では未熟すぎてうまく
お伝えできなくて、、
まだまだ書きたいことは
いっぱいでてきて
まとまりませんが💦

今回 ご参加くださった
皆様はしっかり受け止めて
くださってそれぞれに
投稿してくださったり
また次に繋げてくださる
のだと思います✨

涙も笑いもありながらの
あっという間の2時間でした。




お手伝いといいながら
多くのことを学ばせて
いただいた時間となりました。
國松先生 山中さん
そしてご参加くださった皆様
ありがとうございました😊

まだまだ知らないことばかり
ですが、機会をみつけて
これからも 
学んでいきたいと思います。

最後は國松先生と

今回のスタッフで✨


私は日の丸カラーやな!と言われました🤣
そんなつもりはなかったのですが、、、笑


#滋賀縣護國神社