堺
小学5年~中学2年くらいまで、堺東にはよく大和川を超えて自転車で遊びに行った。そう、コブクロがストリートをやっていた堺東である。堺の商業的中心は堺ではなく堺東であり、というか、これは観点によるのだが、伝統的な堺に中心と考えれば堺の中心は工業地帯のほうと言える。まどろっこしい言い方だ。だが、小中学生にとって楽しいのは、やはり堺東であり、工業地帯が楽しいわけはなく、少し内陸になった阪堺軌道沿線でさえ、殺風景の一言につきるものだった。中学の頃、堺東駅からさらに東へ探検すると、阪堺軌道沿線とはあまりに対照的な高級住宅街(に見えた?)に驚き、さらにその中にたたずむ三国ヶ丘高校が楽園のような錯覚を見た記憶が、いまだに妙に鮮明だったりする。あれから、30年近く(!!!)が経過し、縁あって、というか縁ができて、南海本線の堺~湊駅間に足を延ばすことになった。お?あれはPLの塔か?ということは、ここからPLの花火が見えるのかな???まあ、ここに身内が住むことになっただけのだけどね。結果としていい拠点ができた。帰りはぐるりとまわって阪堺軌道沿を走ってみたのだが、30年前よりなんだか明るくなって、それなりの、生命観のある町になっている。こんなとこ、マンションなんてなかったのにな~てかそんなイメージさえできんかったのにな~大阪市内と変わらない雰囲気になってるな~だけど、30年も経ちゃあ、それもそうか(笑)さて、縁ができると、興味持ってじっと地図を眺めてみたりするわけだけど、大和川を超えて大阪市を眺めると、南北に正確な都市計画なのに、なぜ堺の都市計画は歪んでるんだ???まあ、いいか・・・と気にもせずうたたねをしていたところ、『堺って仁徳天皇陵を中心に道が作られてるん違う?』という嫁の一言。なるほど・・・やるやんけ・・・言われてみるとそんな感じだ。仁徳陵と履中陵に沿うように都市計画が描かれている。となると、仁徳陵と履中陵の軸線がなぜ傾いているのか?についての仮説は長くなるので省略。てか、皇室祭儀を中心に考古学、民族学を洗えばだいたいわかると思う。小奇麗になった堺の街を見るにつけ、あらためて当たり前に思ったのだが、堺市長がなぜ都構想に同調しないか?がわかった気がする。なんのこたあない、堺は自律的経済圏が成立しちゃってんだよ。遡れば、信長にも反抗し手こずらせた堺である。それが今も生きてんだよ、きっと。だから、大阪都なんか成立して、府の強権の下で、貧乏自治体の面倒なんかみたくないんだよ(笑)堺市長はいろいろ言ってたようだけど、それが本音なのでしょう(笑)ダイセル跡にイオンができればまたいちだんと堺のイメージは明るくかな?ダイセルがあるころは物々しい風景だったのが、あの頃のイメージと比較すると一変するんだろうな~、楽しみだわ。さてさて、下道ルートの抜け道研究しとかないと。いちいち高速使ってられんし、26号線以外の選択肢も必要だ。