青空でサミット

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毎日感じたことを書いていきたいです

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この映画、題名がヒズミ(歪み)だと思い込んでました。
実際見ると、これでもかってくらい世の中の歪みを直球で投げつけられる。胸が重くなるほどだ。
それほど構えて見たわけではないので、見進めていくとけっこう衝撃だった。


監督は、原作がある作品なので作者は、この物語からなにを訴えたかったのだろう。


自分は「普通サイコー」に全てが込められてるように思う。
どうみても、普通の環境で育ってない主人公2人。けれど、普通に生きたいと一生懸命になる。
本当はすべてなげやりにしてしまいたいほど、自分の人生を見限っていてる。未来は見えなくて、だからせめて普通であればいいって。

普通でいることは、実は普通にたやすく達成できない。
なにか、ひとつでも緩みがあればたやすく壊れてしまうほど日常は脆いものだから。
震災の惨禍もそうだし、家族の関係も、生きる目的も。


「頑張れ住田!」


「頑張れ住田、頑張れ、頑張れ」

何度も繰り返される。



この頑張れはこの映画のエンディング。

最後まで見れば頑張れの一言が
これほど重い言葉なのだと初めて知った。




それだけでも、この映画を見る意味はあると思う。








どうして、かけがえのないものが色褪せて見えるのだろう。


新しいものも、いつかは古くなる。

日常はいつだってどこか物足りない






今、してることが本当にやりたかったことなのか。

そんなことを考える暇もなく、日常は忙しい。






そうやって過ごしてるうち、そんな疑問さえあったことすら
忘れてしまう。








日常にかまけて、自分自身と会話しないと

このまま何十年もあっという間に過ぎてくだろう。







おじいちゃんになったとき、あの時は最高だったと語れるように生きたい。








自分の足を重くするのは自分だし、一歩を踏むのも自分だ。


ライバルは自分しかいない。




















人生なんてそんなもんだと割りきるのは簡単だ




自分が本当にやりたいことは、自分の心を見てればすぐにわかる

でも、
大人になるにあたって、頭で自分をなだめるようになる

世間体、生きるためにといいながら
自分のことは二の次


自分のために生きていないと、本当にそういう人間になってしまう



それも、気づかぬ間に




自分でなく、他人の人生を小さい世界の中で生きてる
そんなことにも気づかずに





仕事してるからって、年取ったからって
自分に嘘つかなくていいのに





でも、今まで得てきたものをたとえ嘘でも
手放すのは惜しいし怖い






仕事を始めたら、自分探しは止めていいのか


今の自分がほんとの自分だと、自分の心に嘘をついてないと

自信をもって言えるのか