去年の5月27日だった。
休暇を取って妻と子供をつれて某メンタルクリニックにいった。
前日も妻からの指摘が鋭さを増していって自分は何も返せず謝るばかりのパターン・・
子供からもパパは何にもしてないずるいママが苦労している。
とみんなからのバッシングの嵐。。
家事育児会計全て妻に任せてしまっていたから仕方がない。
自分で何も主導権を取っておらず妻のいう事やることにすべて賛同しているだけだったしそれで家族が平和に回っていたと信じていた。。
※この辺はまた後で書こうかと思う
で、病院に行くまでの経過。。
コロナ禍で自分が風邪気味()で微熱発生。ここで自分は会社の指示とは言えあろうことかひきこもる事を提案。
かつ可能なら隔離させてくれとお願いした。妻は職業柄その必要はないと考えていたが従ってくれた。
自分は従ってくれたのにお礼の一言が言えなかった。自分はいい事をしたと思っていた。。迷惑かけているのに・・
自分がつらいでいっぱいいっぱいになってしまった。。
そこから普段から抑えてきた妻の自分への憎しみが爆発。ことあるごとに自分へのダメ出しが多くなり。
覚えられず凹む。いわれすぎてイライラするを繰り返して火に油を注いでしまった。
あまりにも物覚えが悪い。また忘れ物も多い。妻が一生懸命は家事育児をして自分の至らないことを解説しているのに
自分は感謝もせず誤りもせずリカバリーしようと躍起になってしまった。
つまりねぎらいの一言が言えず妻の不満をうまく聞いて水に流してあげることができなかったのだ。。
妻が何を考えてここまで怒っているのかを教えてくれているにもかかわらずだ。
怒りに対処できず一緒になってワタワタしてしまう。自分からどうするとは言えずいつも妻からこうしてほしかったからやってほしいと
いつも妻からの提案で「あ、そうか。。ごめん」と動きだしイライラされる。
そしてその時俺は・・・
俺が何できるんだろう・・いまさら何言っても火に油を注ぐだけ。。
いまさらどうしよう。。
ここまで怒らせてしまった罪悪感で頭が真っ白になる。
怒られると何を言っていいかわからんくなり頭がまっしろけっけ
ADHDの事が書いてあるHPで見たことといっしょだ・・
あまりにも情けなかっただろう、妻の攻撃はやまず自分は寝れなくなり、許してもらえないから泣いて土下座してできない事への許しを請うが妻の怒りへの返答ができずただ謝るだけ頭が真っ白の状態が続いた。
一番やってはいけない情けない行為だとわかっていたけれど解決策が全く分からなかった・・
妻「やっぱりおかしいあなた。もう一緒にいれない・・」
「27日に病院予約しているから一緒に行ってもらえる?」
「意思疎通ができない苦労を聞いてもらいたい。子供も一緒」
そしてメンタルクリニックで事前に30分のカウンセラーからのヒアリングがある。
「一生懸命ボールを投げているのにこの人からはボールが返ってこない」
「褒めてほしいのに褒めてくれない」
「ありがとうと言ってほしいのに行ってくれない」
「話をしても共感が得られない」
「いった事がまるで改善されない」
カウンセラに日々の情緒的な交流つまり一般的な家庭で行われる類の会話ができずすぐフリーズしてしまうので辛い。
そのことで子供がかなり傷ついている。
自分はただ立ち尽くすだけ。妻は泣いている。
自分もこの窮地から脱する方法が編み出せず無力さで涙が止まらない。
そして精神科の先生の判断はやはり「ADHD」
・他人の動作から感情をうまくくみ取れない、
・自分の主張が強すぎて過ちを認められない
・感情がくみ取れないからうまくボールも返せないのでだんまりしてしまう。
・マルチタスクが苦手でながら家事ができず覚えられない。
注意力の欠損とASDの気もあるとの診断。
先生からは一生治らないからボール投げても帰ってこないから粘り強くやるしかない。
当事者は出来なくてごめんなさいの意識を忘れずに家族でフォローしてあげてください。
と言われた。この時自分は・・・
子供のころから人が話している話をあんまり理解できなかったなー
何か奇抜な事を言って変わってるって言われてたなー
マニアックだよね。
いっぱい人がいるところでしゃべるの苦手だなー
自分の事をしゃべると止まらないなー
いっつもケレスミスしてバイトで怒られてたなーけどスピードを買われてたから怒られなかったなー
とか過去のを振り返ると友達達から少々違った視点をもった変わり者。
とみられて嘲笑の的になってたんだな
高校の友達達からは明らかに未婚で結婚無理な人と見られてたから酒のつまみにスケープゴートにされたんだな。。
だから飲み会もいかなくなったなーとかいろいろ思い出して治らないから妻からの攻撃もやまず。子供からの信頼も回復できないな。。
と思ったら涙が止まらなかった。。
先生は優しく。
「でもこの人は裏切らないし一生懸命やってくれるよ」
「少々難があってもプラスもいっぱいあるから一緒に乗り越えて」
と言ってくれた。
治療というか普通に家族と接するために検査を行い、どのようにしていくかを次回相談しましょうとなった。
家族でいったんはこの障害に向き合っていこうと仲を取り持てた。
ただこの日が一番幸せな日だった。。この日以降の自分と妻のアップダウンで家族を疲弊崩壊させるとは思ってもみなかった。。
つづく。。。