空気の研究 | 幸福を実現するブログ

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日本人は、空気で動くとされている。

今でも、KYといい、空気を読めない人のことを指して揶揄する言葉が若者を中心として、使われている。

KYと言われたくなかったら、空気を読めよ、ということである。

空気は、そのような雰囲気があるということを全員が同じように全員で感じて、ある一定の方向に動くことかなと思う。

それは、空気に支配されているということになり、それに疑問を感じることは、空気を読めないということになる。

非常に顔色を伺うとか、考えていることを察知するに長けているといえば、良いことと思えるが、これはコワイことだと思う。

日本のいじめは、だいたい空気から醸成されると思う。

あれは異質だと、空気が醸成されたら、いじめの対象だ。

その空気から逃れるのは、非常に難しい。

いわゆる村八分にされまいという思いが、過剰に出たときが、空気による支配を自然に受けている状態といえるのではないか。

そのような空気が蔓延して、誰も指示してない、誰も命令してない空気に基づいて、集団が同じように動くことで、その集団に属していることをもって、安心感を得られる構造が日本にはあるし、だいたいの日本人の性質だと思う。

それが、日本人の集団であるならば、どこに行っても、その空気に支配された意思決定がなされる。

そこでの空気では、それに抗う意見をいうことはできなかったと来る。

日本では、空気を作られたら、おしまいであるし、その空気を作るためにいち早く先導しなければ勝てない。

それが根回しであろう。

日本のリーダーの話になるが、日本では、リーダーを間違って捉えてるところがある。

根回しを含め、空気を先導したかのように思われた人を日本では、リーダーと呼ぶのである。

それを日本型リーダーと呼ぶのではないかと思う。

日本はリーダーでさえ、空気の支配から逃れることはできない。

日本型リーダーは、人々の集団想念(空気)をいち早く感じとり、その空気を醸成したとうまいこと思われた人を指すのである。

欧米では、反対に自らの信念を正直に述べた人をリーダーとする。

日本の空気は、日本の命運を決めるけど、いつのまにか、そうなってしまったという誰も決定してないで、日本の滅亡をも決定しまいかねない。

戦後レジームからの脱却と自虐史観からの脱却とともに、
空気の支配からの脱却が日本には必ず必要だ。





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