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CDせどり~美しい稼ぎ方~

せどりを通して、人生を楽しむ方法、いろんな人と
コミュニケーションをする方法そんなことを中心に
書いていきたいと思います。


人生を楽しみたい方、いろんな人と出会いたい方
そんな方に読んで欲しいです。

こんばんは、せどらー&かぐらーの
toshiです。

先日は、4か月ぶりに石見神楽を
観に石見に行ってきました。


今回で神楽を観るのは、3回目に
なるのですが、


さすがに、3回目ともなりますと、
なかなかの虜になってしまい、


もうすっかり、神楽を観に行くのは
特別な事ではなくて、
当たり前の事になってしまいそうな
今日この頃です。


ところで、神楽というのは
ウィキペディアで調べると、
とても詳しく、色々と出てくるのですが
いざそれをかみ砕いて、
理解しようとすると、
なんだか分かったような、
分からないような、
頭の中が、混沌とした

カオス状態になってしまい、
つまりあまりよく

分からないです。


なので、

もっともっとわかり易く、
僕がアレンジして
神楽を説明しますと、

要するに、

神楽とは、

文字通り、

神様を楽しませるための
ものである、

という風に、理解していただければ
物凄くわかり易いと思います。

なぜ、

神様を楽しませる必要があるのか、
というと、


これは、

五穀豊穣(豊作)や、天災が起きないように
神様にお願いすると同時に、

その年が、平穏無事であったことへの
感謝の意を込めて、神様をおもてなし
するためなのです。


東京オリンピックよりもゴージャスで
ダイナミックな、おもてなしです。

信仰とは、

信じて、あがめ奉る
という、なんとなく格式が高いか
或いは、カルトのような
ダークなイメージを持たれる人も
多いと思いますが、


僕は、もっともっと、
シンプルで、


ただただひたすらの、感謝では
ないかと思うのです。


常に感謝あるのみです。

「僕たちの、生きやすい日本を
ありがとうございます。」


てね。




僕たちが常に、精神的に平穏無事でいられるのは
神様のおかげなのです。


だから、


絶えず感謝し続ける必要があります。
そして、

神様を思い切り、楽しませて
あげること、


それが、神楽なのです。


石見神楽は、数ある神楽の中でも
とても特徴的で、ユニークな
神楽です。


それは、大きく分けて3つあります。

まず1つは、

非常にテンポが速いということです。

通常の神楽は囃子と舞のテンポ(調子)が
非常に緩やかで、


あまりリズム感を楽しめないのですが、


石見神楽は囃子と舞のテンポが、
異常に早くて、とても観ていて
聴いていて、爽快な気分に
慣れるのです。


まるで、

ブロードウェイのミュージカルを
観ているような、

というのは、言い過ぎですが、

これが、本当に神楽なのか
ミュージカルなのかと言われると、
どちらともとれる様な、


そんな、ディズニーも真っ青になるくらい
のパフォーマンスなわけです。


恐るべし、石見神楽です。


そして、2つ目は

石見神楽は、エンターテイメント(遊び心)
満載である、ということです。


神楽というのは、日本の神話を題材とした
演目で舞われるのですが、


ただ、囃子に合わせて舞うのではなくて、
さまざまな仕掛けや、小道具などが
用いられます。


例えば、

恵比須様を題材にした、
恵比須という演目では、

恵比須様が釣りをしていて、
魚の餌をばら撒くシーンの時に、
客席に向かって、魚の餌ではなくて
飴やお菓子などをばら撒くのです、


もちろん、客席にいるチビッ子は
大喜びして、飴やお菓子を
拾い漁っています。


因みに、僕も飴が大好きなので
大喜びです。


また、

スサノオノミコトの大蛇退治で有名な
大蛇という演目では、

スサノオノミコトが、大蛇とバトルを
繰り広げる非常にクライマックスな
シーンの時に、舞台に煙幕がまかれて
舞台が煙で覆われて真っ白になって
しまうのです。


その煙幕がまかれて、真っ白になった
舞台の迫力と緊迫感、そして何とも言えな
火薬の臭さ、これが本当に絶妙なの
です。


神楽で煙幕がまかれて、戦っている

冷静に考えると、ちょっと意味が
分からないですよね。

でも、

そこが、石見神楽の醍醐味
なのです。

前にも書きましたが、

石見神楽は神様を楽しませるための
最高のおもてなしです。


だから、

遊び心が満載されています。

どうやったら、神様を精一杯楽しませる
ことが出来るだろうかを真剣に考えて
悪ふざけをしているのです。


その悪ふざけの心があるからこそ、
さまざまな工夫が出来るのです。


「あれ、こんなことやったら
楽しくない。」

そんな、悪ふざけの遊び心が
あるから、石見神楽は
素敵なのです。


悪ふざけ、バンザイ。


そして、3つ目は
石見の人はみんな神楽が大好きで
神楽を愛しているということです。


これは、初めて石見に神楽を観に行ったときに
特に感じたのですが、


その時は、

一晩中夜通しで、神楽が舞われていた
のですが、


まだ幼い3歳児くらいの子供たちが
眠い目を擦りながら、一生懸命
神楽を観ているのです。


僕が、子供の時なんかは
9時過ぎたらもう眠くて
布団の中ですやすや眠っていた
わけですが、


石見の子供たちは、
夜中の2時3時だというのに、
平気で神楽を観ているのです。


まあ、正確に言いますと
ずっと起きているわけではなくて
うとうとして、寝て、起きて
またうとうとしてを、

繰り返しているのですが、
それでも、


神楽を観続けているのですから
やはり立派だなぁと、
思うわけです。


石見の人は、

物心ついた時から
神楽に慣れ親しんでいる
というか、

神様に慣れ親しんでいるのだなぁ
と感じます。


そんな、彼らが彼女らが
オトナになってまた子供たちに
神楽を伝えて、

そしてまたその子供たちが
神楽に慣れ親しんで
またまた神楽を伝えて
ずっとずっと、それを
繰り返しているのだろうと
思います。


そんな、

並外れた神楽への愛着心は、
僕のような、よそから
わざわざ神楽を観に来た人にとっては
本当に羨ましいなぁと思うし、
神楽愛としか、言いようがないのです。


純粋に神楽が好きで、神楽が楽しくて
神楽を通して、神様に感謝をしている
それは、本当に美しいし、正しいし


是非とも見習わなければならないと
強く言いたいです。


その石見の人々の神楽愛を、
感じるだけでも石見に行く必要は
あるなと、僕は思うのです。


日本人としての正しさを、
石見神楽で学べた気がします。


このような感じで、

石見神楽は

・非常にテンポが速い
・エンターテイメント(遊び心)満載である
・石見の人に愛され続けている


という風に、3つの特徴がある
ということを、是非覚えて
頂きたいです。


ここまで読んで、
石見神楽を観に行かない人は、
正直言ってバカだと思います。


みたいな、

怪しい教材を売っている、
下手くそなコピーライター
みたいなことを言うつもりは、

これっぽちも、サラッサラの
サラサーティーのかけらもないのですが、

それでも、1つだけ言いたいと思います。

別に何も神楽を観に行かなくても、

家の近くの神社に行って、お参りをすれば
それでも、神様には会えるのです。


もちろん、それはとても大事なことだし、
是非とも続けてやっていただきたいのですが


ただ、

石見神楽で会える神様は、

神楽を観て、相当ご満悦していて
とてもご機嫌で
相当ゆるゆるな状態になってる
ということです。


そりゃ、そうですよね。
そこまでして、至れり尽くせりの
おもてなしをされて、
喜ばせてもらったら、


神様じゃなくても、普通の僕たち
人間だって相当ゆるゆるになって
しまい、そんな時に何かお願いを
されたら、殆どのことは、
OKしてしまいますよね。


だから石見神楽を観に行ってお願いを
すれば、普段は通らないような無理難題も
すんなり通ってしまう可能性が、
非常に高いということです。


これって、凄く得じゃないですかね。


まあ、まあそれはそれで、ちょっと
よこしまな気分もしないでもないですか、


そんなハプニングも十分ありうるのが、
石見神楽だということです。


そんな、こんなでいろいろと書き綴って
きましたが、

ここまで読んでいただいた方は、
是非とも一度でもいいから、

石見神楽を生でその目で見ていただきたいな
と思うわけです。


そして、色々と感じてほしいし、

ゆるゆるの神様と対話をして
欲しいです。


そうすれば、僕たち日本人は
日本人として、どうあるべきか
どのように生きることが、
正しく、美しいのかが
自ずから見えてくるのでは
ないかな。


自分自身を見つめ直す意味でも
是非一度、

石見神楽をご鑑賞ください
ませませ。


ありがとうございました。