ギリギリBOYSネタ日記
小説『アディクトの優劣感』を出すことになりました池間了至です。アマゾンで頂いたレビューから本の紹介をさせて頂きます。
http://www.final-solstice.comでお待ちしてます。

誰でも奥にひめている「孤独感」。それによって現れる微妙な感情の動き。音にサンクチュアリーを求め、ドラッグに愛を求める。それは誰にも見せたくない心の穴をうめるため。正しいも正しくないもない。ただ確実にやってくる「死」にむかってひたすら歩き続けるだけ。「無」に向かってただ「ある」とひたすら感じるだけ。そこから来る優越感。そして劣等感。その合間を行き来する「優劣感」。そして、そこから生まれる愛。人とのつながりを求めて・・・。誰でも一度は感じたことがある、この微妙な心の動き。最高であり、最悪であり、あきらめであり、希望であり、そしてどれでもない感情。言葉にするには難しい心の中に抱いてきたもの。そんな気持ちが著者ならではの表現により紐とかれていく作品です。是非!是非!

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時効まであと一年、 その弐

昨日朝方ニュース見てたら、よく画面の隅の方に出てるテロップにかなりの爆笑ネタが、
『千葉県で暴走族を17人検挙、平均年齢29.8歳』って、おいおいおいおい、族って十代のもんじゃなかったのかよ、平均で29歳だとぅ~じゃあ35くらいのヤツも(あ、僕もそうか)いたってことは、お、お、お、お、おっさんやん、なんじゃいそりゃ~いい年こいてやってくれます。多分時代の流れとともに世代交代に失敗したのか、若かりし頃の暴走、いや妄想にとりつかれたおっさんの集団だと思われますw。多分捕まえた警官の方が若くて『なにやってんの?いい年こいておっさん!!』みたいな感じだったと思われます。かなりのギャグだね。

では今日もがんばって続きいってみま~~す。というか、この連載小説『曖昧さのあいまに』は僕が24くらいに書いたヤツを引っ張り出してきて再校正して書いてるんですけど~十年も前の文読むと自分の青さに怖いっすね、というかダメダメっすね。でもあと十年したらまた同じこと思うんでしょうね。

『曖昧さのあいまに 2』

 その頃の僕はほとんど大学には行かず、立川にある教育センターと呼ばれる場所に、毎日出入りしていた。そこは、中高生の受験教材を売ったり、家庭教師を派遣するのが表向きの仕事だったが、それ以外にも裏向きな仕事もいろいろあった。教育センターと言っても、実際には教育とは程遠い人間の集まりで、そのうちの何人かはホンマもんのヤクザだった。最終的に僕は追われる身となるので、何処のヤクザということはここでは割愛させてもらおう。まさに教育と言う看板を背負った詐欺集団といったほうがいいだろう。
 何故僕がそんなところに出入りしていたかというと、田舎から出てきて初めて買ったフロームAに載っていた教育センターの『家庭教師募集』に引っかかってしまったのだ。まずセンターに電話すると面接と登録があるということで伺うことになった。当日、会議室らしきところで5、6人の大学生と共に登録と適性検査なるものを受けさせられた。その後、臨床心理士の先生との面接があり一同解散になったのだが、何故か僕ひとりだけ「ちょっと話があるから」とセンターのひとに言われ、そのまま残ることになった。

 そして、センターのひとに「家庭教師の宛てが見付かるまで事務を手伝ってくれないか」と誘われた。勿論僕は暇を持て余していたので、二つ返事で承諾した。しかしここからまさかヤクザの片棒を担がされるなんてことは微塵にも思っていなかった。いや思えるわけがないじゃないか。あとで分かったことなんだけれど、登録と共に受けた適性検査はもちろん家庭教師としての検査もあっただろうが、別の検査もあって僕はヤクザのパシリとしての相当の適正を持っていたらしい。臨床心理士の先生が後々になった教えてくれた。確かに自慢出来る代物ではないが、僕はこの二年間、ヤクザのパシリとしてはかなり一流の働きをしたと思う。もちろん、パシリとしてだけどね。

 気が付くと昼は表の仕事、夜は裏の仕事をするようになった。もちろん始めはその境目が全く分からなかった。逆に気が付いた時にはもう完全な手遅れだった。そしてそのヤクザの中のトップの後藤に気に入られ、僕は側近のようなポジションになってしまった。その当時、まだ携帯は肩から背負うようなものしかなく、ポケベルが主流だった。僕は後藤からポケベルを持たされ、鳴った時には何があっても電話しなければなかった。たとえそれが大学の授業中でもだ、一番ヒドかったのはテスト中に鳴って、結局テストを辞退したこともある。

 裏の仕事の話は簡単に言うと、地回り、ブツの売買、裏口入学の手配、後藤の世話役ぐらいでリスクはあるもののツライものではなかった、しかし表の仕事は何故かノルマがある厳しいものだった。それは僕だけに課せられたものではなくセンター全員に課せられたもので、ついていけずに辞める社員もいっぱいいた。正直、ダメな社員に暴力的制裁もあった。そして僕も何度か受けていた、しかし裏の仕事では後藤の側近の僕が辞めますなんて言葉は死んでも口に出来なかった、言ったら何をされるか分かったものではない。

 その表の仕事で僕は主にテレポンアポインターをしていた、始めはこれほど僕に向いていない仕事はないと思っていたが、後藤にワンツーマンで特訓を受け、気が付くとセンターでトップの成績を取るようになり、自分でアルバイトを募集して50人のアルバイトを研修管理するようになっていた。自分でフロームAの募集記事を書いた時には笑ったものだった。だってバイトで入った男がバイトを募集しているのだから。その頃から僕のスーツ着用は義務づけられるようになった。管理職としては当然のことだった。でも一着しかない入学式に使ったものを毎日着るのはさすがに嫌だった。でも稼ぎは悪くなくもう一着買うことも出来たが、地味目に苦労を見せることもセンターの中で大事なポーズだった。そしてそれがパシリとしての努めでもあった。

 テレホンアポインターという仕事は、見ず知らずの家(中高生がいることは調査済み)に突然電話して教材を売り込む仕事だったのだが、突然電話を切られたり不快がられることがほとんどのかなり神経をすり減らす仕事だった。アルバイトの時給は高めだったが、二ヶ月持てばいい方だった。当然女の子が主流のアルバイトということもあって、そういう面では女の子を面接管理する僕としてはおいしい仕事でもあった。二ヶ月に一度は募集をかけ、その都度二、三十人を面接して、十人くらいを採用していた。仕事の流れ上、採用不採用も僕に任せられていた。
正直、採用不採用は適正というより僕の好みで決めていた、まぁバイトの仕事結果で僕の給料も変わるわけだからその位はオッケイだろう。
 そしてその中のアルバイトの女の子の何人かと僕は寝た、後藤に絶対バレないように寝た。バレたら大変なことだった。

 毎日が慌ただしく、自分が学生ということも忘れ、スーツ姿で仕事をすることもちょっとは様になり、僕はもうこのままヤクザについていってもいいかなと思い始めている頃だった。

 加世子という何処となく冷たい目をした女は面接にやってきた。

時効まであと一年、 その壱

先日、ミクシーにレビューを書いてもらったジセルさんから「どうして小説を書くようになったのか」という質問をいただきました。もう何かとちょろちょろ書き始めて十年が経ちますが、よく思い出してみるとやはり切っ掛けになる出来事がありました。そのことを書き残そうとしたことが小説を書くはじまりだと思います。でも始めは全然書けませんでしたね。

若かりし頃のアヤまちとでもいうのか、ギリギリBOYS最大のピンチとでもいうのでしょうか、これから何日かに渡りそのネタを書きたいと思います。

それは僕が二十歳の、あと一ヶ月ちょっとで二十一歳になる時で、1991年の4月24日の出来事です。十四年経ちますが、今でもまだ鮮明に覚えています。正直、時効まであと一年ありますがもう大丈夫だと思います。ここから小説を始めたいと思います。


「曖昧さのあいまに」
 
 18時10分新宿発成田エキスプレス41便、スーツ姿の僕は隠れるようにして乗り込んだ。
 そう、この場は何があっても誰にも見られたくない瞬間だった。この電車に乗る以上僕の行き先はひとつだ、それを誰にも知られたくない事情があった。あとスーツ姿と書いてしまったが、一年以上もほとんど毎日同じスーツを着ていたおかげで、裾はほころび、右手首のボタンもひとつない。姿勢とワイシャツで何とか誤魔化して着ている品物だ。
 
 成田エキスプレスはまだ開通したばかりということもあって、車内は新しいシートの匂いで充満していた、正直、鼻に付く感じのお世辞にもいい匂いとは言えない、異空間だった。
 僕は座席番号を確かめ四人がけのシートの窓側に座ろうとすると、もうすでに他の三人は腰を下ろし、エキスプレスの発車を静かに待っていた。僕の隣の席の男は格闘技通信を読んでいて、手には空手ダコが出来ていた。向かいの二人は二人とも左手に真新しく光を反射する同じ指輪をしている、間違いなくハネムーンに向かうところなんだろう。
   
 気が付くと、エキスプレスはあっという間に東京駅に着き途中停車すると、空いていた席は全て埋め尽くされてしまった。それでも混んでいる割には静かで、皆これから海外に行く瞬間というのか、飛行機に乗る瞬間を緊張して待っているように見える。
 エキスプレス車内の壁には、新宿から成田空港までの地図があり、路線上には発光ダイオードが埋められていて、エキスプレスが空港に近付くごとに発光ダイオードはひとつひとつ点灯していった。地図上をあがったりさがったりするその光をずっと見ていると、まるで僕の心のバロメーターを表しているように見えた。光が空港に近付くにつれ僕の緊張感もひとつひとつ高まっていった。
   
 エキスプレスは予定より一分遅れて成田空港に到着した。僕は皆が慌ただしく車内を出て行くのを横目にひとり静かに全員が降りるのを待った。そうすることで少しでも自分を落ち着けようと心がけたのだ。全員が降りると、僕は小型のブリーフケースを手に持ちゆっくりと歩き始めた。そしてエキスプレスを降り、生まれて初めて成田空港の地を踏んだ。
   
 改札口を出て50mぼど歩くと荷物検査が待っていた。検査官にブリーフケースを開けるように指示され、ブリーフケースを開ける。検査官はあまりよく中を見ようとはせず、
 「パスポートを拝見させてもらえますか?」
 「見送りなので今日は持っていません」
 「何か身分証明はありますか?」
 僕は財布から免許証を取り出し、検査官に見せた。
 「わかりました、どうぞ」
 あっという間にその場を通された。初めてここに来た僕はまだ海外に行ったことがなく、勿論パスポートも持っていなかった。カッコつけたのか、流れなのか、嘘をついた。
 でもこれから僕が犯してしまうことに比べれば、たわいもない嘘だった、ほんの些細な過ちだった。そしてこれから起きることは、検査員もそして僕自身ですらも全く予想出来ることではなかった。

 僕はエスカレーター付近の出国ロビーの看板を見付け、真直ぐ四階に向かった。
四階に着くと窓側に飛行機の出発時刻を示す大きな回転掲示板を見付けた。
 そこに『20時50分発、ANAシドニー行』があることを確認した。
 僕の左手にはつけ慣れない日比野克彦の金色の時計が、19時40分を指していた。

   そして僕は広くあてもないロビーを加世子を探し、歩き回った。