奏弥ブログ(´_>`) -2ページ目

奏弥ブログ(´_>`)

やんさんそれは食べ物じゃないわよおお

どこかで戻れると思ってるから

切り離せない

捨てれば変われるとどこかで思っているのに

きっとどこでも思ってない


変わりたいは本心だ

戻りたいも本心だ


日にちは戻りたく無い



戻りたいのは

取り戻したいのは君じゃない


そのころの満足感




と、まぁ結局こんなつまらん結末で

考えのループがフィニッシュする



中途半端で

深いところは掘らないように触れないように

答えを出す




これが僕の悪いところだ




分かってるよ






最近は

その中途半端なフィニッシュが嫌で




なんでなんでなんでどうして




そーゆー終わり方をする僕の思考回路







結局は

というかやっぱり僕は

ハッピーエンドが好きです本心は






でもハッピーエンドは



ある意味で逃げです





創作だからと許されるものじゃありません





人生において













身の程知らずでいたかった





思い知らさせた


東京に





なのか、


単に上には上がいたのか







いや、このままじゃ終わらねえよ




もうひとつ







最近思っている(というか2年ほど前から)
事なんですが








高3の年齢の時、
ある弁当屋でバイトしてた頃の話








パートのオバちゃん達から






奏弥クンってキラキラネームだよね〜〜









なんてことをゲラゲラ笑いながら
どこか家系とかいろいろ見透かしたような感じに
言われる。(地元は田舎なのだ)












さて、


キラキラネームとかDQNネームとか当て字ネームとかいろいろゆわれてる名前ですが









その存在はニュースやらツイッターやらで前々から知ってはいたものの特に深く考えたことはなく












ましてや18年生きてきて(当時)自分がそー思われる名前だったなんて思ったこともなく










なんかハッとさせられました笑














そこでなんですが



僕は






キラキラネームと呼ばれる名前達を
否定もしくはバカにする人達のことを
全力で否定しようと思います(´_>`)ハッ
















まず





”当て字”
についてですが








漢字とは
想いや意味を込めて使う、
そして日本の(とかチャイナとか。が、ここでは日本での在り方について述べる)文化である






前に!!!







前にだ!

 




情報伝達のツールである。

意思や情報を伝えるためのツールでしかないのだ、そもそも。








そして単にツールとして考えた場合、

習得にかかる労力の割には
少なくともあまり優れたツールでは無いと
僕は思う








同じ作業をこなすんであれば
使いやすい道具を使う方がずっといい


使いにくい道具は自然と廃れていくだろう










つまりそういうことだよ











文化や芸術としての漢字というものを否定するつもりはない(もちろん日本である以上、ツールとしての漢字の存在も、それの学習についても否定はしてない)











難しい漢字や
難しい使い方、意味






そういった漢字の持つ難しい”機能”は次第に使われなくなって行き、
もっとより使いやすい方法で使われるようになる











これを”バカが増えた”とか、そーゆーことを言う老害も多数存在するが








長い目線でみた場合


何十年単位で考えた場合







単に
当て字がよく名前に使われるようになる
というのは
時代が進んで進化している


と考えるべきだと思う










キラキラネームが使われ始めた現代

初めてそーゆー名前をつけた人は
バカだとかあーだーこーだ言われるだろう






が、何事も新しいことを
誰もやってなかったことを始める人は
みんなそうだ


最初は叩かれる笑







ただそれだけのことなのだ







つまり現代の、同年代くらいの
そーいった名前を付ける親は





”古くて使い勝手が悪く、道具として時代についていけなくなった漢字というツールに対し、新しい使い方を与えている”



 僕はそう思う














それともう一つ。








キラキラネームというのは大抵創作だ







考えて、
親が好きな言葉や意味、好きなものなどから付ける



今までにないカタチで









つまりキラキラネームを付ける親は

大切な我が子に対し


自由な発想で、自分の考えた名前を与える













一方キラキラネームを否定する連中の名前は
99.99999%の場合






テンプレだ笑




 






キラキラネームの対義語はテンプレネームにすればいいと思う笑











大切な我が子に対し、ろくに考えもせず
その他大勢と同じように
テンプレでその辺に転がってる名前を付けるのだ







大切な、たった1人の我が子に対し。





















はい。




もちろん人の名前、親からもらった名前、人がつけた名前に対し僕はバカにする気も無ければ意見するつもりもない










が、
僕のことをキラキラネームと呼んだのも

キラキラネームをバカにしてるのも





古びた老害どもが先にやったことだ










あくまで僕は対等に反撃しているだけである









専守防衛を貫いているのである笑











いろんな名前が
いろんな状況で付けられる



付けた本人ではなく
付けられた側が一生背負っていくことになる名前







もちろん、すべての人が自分の親に名付けられるとも限らない




付けられる側にはなんの責任も理由も意味もないのだ





いろんな種類、思想、状況の中で
付けられる名前というものに対し




良い悪いなどではなく




深く考えてみるのも良いと思います


 




すべてが対等であるべきだ










 





まとめ!


キラキラネームと言われたらテンプレネームと言い返してやりましょう(´_>`)






作ろう我らの21世紀!




場末のエッフェル塔のような東京タワーなんかはやく撤去解体だ!時代はスカイツリーだ!













今回は
僕の持論をお話ししようか



















持論ってなんですか(´_>`)












それは置いといて













なんかすべて晒そうと




アタマん中を




考えを










どうせ誰もみてないこんなブログなんだし(´_>`)

そろそろ人生のマナーモードを解除しようと













そーゆーアレです
















みかんは





皮を剥く手間と







食べた時の幸福率が






1:1である(であると思う)











だからみかんが好きだ













みかんしか食ってない

そーなりますみかんがあれば












そんなお話

















対して巨峰








巨峰ゆーたって
ぶどうの中でデカイだけでせいぜいあれくらいのサイズ




それをひとつづつ皮むいて

時には種まで出して










とても手間と幸福度が釣り合わない(´_>`)


だから食わない









そーゆーお話












果物だけではなく



すべての判断基準としてこれがあると思います








と、中学生の頃名付けましたコレ












ただ、



食べたら1億円もらえる巨峰とか















大好きな人が食べてもらおうと笑顔で買ってきた巨峰











この場合は上記の通りにはいきませんぬ










つまり食べます



























何言ってんだおれ(´_>`)