私にはこどもがいません。ですが時々、子連れの友達と出かけることがあります。そういう時、親と少し離れて私とこどもだけでいるタイミングも生じます。私が至らなく、こどもをしっかり見て居るつもりでも、こどもが他の人にぶつかったりしてしまうことがあります。すみません!すみません!と私は謝ります。私自身が一人でいる時に人にぶつかって同じように謝っても、大概は何の言葉も返ってこず、無視されるかにらまれるかというったものですが、子どもの場合は、誰もが笑顔でいいですよー大丈夫ですよーと許してくれます。そうでない人も存在するのは知っていますが私の少ない経験では皆がそうでした。こどもってすごいな子連れってすごいなと私は思いました。

そこで思い出したのが別の友達です。その人はいわゆる子連れ様です。いつも友達のほうから私を誘ってくるのに、そして友達の家はとても遠いのに、会おうという誘いにOKするといつも私が遠くまで行くというスケジュールが組まれ、時間とお金を使って私が行きます。その友達の子供はしつけがなってなく、私に対して乱暴な態度です。私が友達の都合に合わせることに対しても、子どもが乱暴に接してくることに対しても、友達はごめんねという態度が全くありません。

子どもがいるんだから許されて当然、子連れなんだから優先されて当然、こちらに合わせてもらって当たり前。という考え方は、周りが育てているんじゃないかなと思いました。私が友達の子どもを連れている時に皆が笑顔で大丈夫ですよと言ってくれたこと、私はたまにのことなのですごい!と思う段階で止まっていますが、それが続くと、何もすごいことではなくて当然のことだと思ってしまう人が出てくるのでしょう。こういった他人でなく友人知人が都合に合わせてくれるのも、ありがたいと思わず当たり前と感じるようになってしまうのでしょう。

もちろんそんな人ばかりではないですけどね。こづれさまの友達は一人だけです。他にこどもがいて仲良くしてる友達が二人いますが、その二人はとても謙虚で、申し訳なくなるくらいに、いつも私に気を遣ってくれます。

こづれさまのことを考えていて、もう一人、別の人のことを思い出しました。その人は障碍者様でした。脚に障害がありましたが、走れないくらいで、階段を上ったり自転車をこいだりはできます。体力も平均以下のようでしたが、毎日酒を飲みタバコを吸い、という人でした。仕事は普通にできていましたが、私は少し気を遣っていました。その人には出来ないから私がやる、という発想ではなかったです。病気の人をいたわるような感じですかね。ちょっと体力を使いそうなことは私が率先してやるという具合です。そんなに頻繁ではなかったですけどね。そのうちその人は、今日早く帰りたい、などの理由で私に仕事を頼んでくるようになりました。早く帰りたい理由は病院等ではありません。飲み会やコンサートです。朝、今日は楽しみにしてたコンサートで6時ちょうどにタイムカード押して帰る、などと宣言されます。6時が近づいて仕事が終わらなかったら、私に回してきます。そういうことが続いて嫌気がさしていたので、ある時私は、「自分でやってください」とはっきり言いました。その人は「えーやってよー」と言ってきましたが無視しました。

甘えさせていた私が悪いのだと思います。障碍者様を助長していたのは私だと思います。

さらに思い出したことがあります。私は骨折の経験が二回あります。ギプスをしていたり松葉杖をついていたり見た目に分かりやすいので、たくさんの人が親切にしてくれました。電車に乗ればほぼ100%、どなたかが席を譲ってくださいます。お店のドアが自動ドアでない場合は、店の人がかけつけてドアをあけてくれます。親切な人がたくさんいる!と思って私は感動しました。松葉杖やギプスがなくなってもまだ普通に歩けず電車で立っているのも松葉杖がある時よりむしろつらく、しかし見た目にはギプスや松葉杖のような分かりやすい目印がない状態の時、目印がないので、親切にしてくれる人はいませんでした。私は、こんなに辛そうに歩いているのに、こんなに辛そうに立っているのに、誰も助けてくれない、、、と思ったんですが、これ、障碍者様的な考えになりかけていたんだと思います。

周りの人の親切心が●●様を作るのだと私は思いました。だからといって必要以上に親切にしなくていいとは思いません。親切すると、親切したほうもされる方も気持ちが良い物です。親切される方がそれを当たり前と思わないことが大事なんだと思います。ひどく恐縮したりする必要はありません。ありがとうございます、すみません、軽く一言いう、このくらいでいいと思います。当たり前に思って●●様になってしまわなければいいんですが、私の僅かな経験からしても、難しいんでしょうね。