高3の秋に学校で倒れてから、卒業後は入院する事になりました。
進学をしたかったという気持ちもあり、進学せずに治療に専念は
皆より遅れを取ると思いすごく寂しかったです
19歳 治療スタート
既に再生不良性貧血中等症以上になっていました。
高校を卒業しすぐ入院しました。ウサギの血清製剤を使った
抗ヒトTリンパ球ウサギ免疫グロブリン治療でした
毎日1回6時間掛けて点滴で入れる、それを5日程度していきました。
それと同時にステロイドの服用が始まりました。。
この薬の副作用が”ムーンフェイス” ”多毛症” ”日光過敏症”などなど。。
日々顔が丸くなり猿になっちゃうんじゃないか位どんどん体毛も濃いくなり
とっても恥ずかしくて・・嫌で嫌でたまりませんでした。
数週間の入院を経て退院し半年以上自宅療養していましたが数値の回復も良くならず
この治療は効果はありませんでした。と主治医から伝えられました。
ここで開き直ったのか?(笑)
いつどうなるか分からないならやりたいことをしよう!!と思い
県外の美容専門学校に進学することを決めました
もちろんムーミンは「何を考えてるんだ?君には驚かされてばっかりだよ」
と言っていましたが私の進学先の近くに知り合いの先生が居たらしく
快く紹介状を書いてくれました
20歳 進学
まだ継続して薬も飲んでいたので顔は丸いし体毛は濃いしで人の目を
すごく気にしていましたが友達も増え、日々大好きな美容の勉強が出来て
夢もどんどん広がり慣れない一人暮らしでしたが近所に姉と、幼馴染が
住んでいたので2人のサポートもありとても充実していました
通院は欠かさず行っていましたがやはり数値はどんどん悪くなって行き
先生から「君が今の生活を続けていきたいなら生理を止める注射を打ち
月に1回輸血をしないと生活出来ない」と言われ・・とても悩みました。
でもここで諦めたくない!!と思い生理を止める注射を定期的に打ち、
月1で輸血をする生活が始まりました。
輸血をするとすごく楽になり、しばらくは元気に過ごせました。
2年生に進学するとコンテストなども増え日々忙しくなり体力的にきつく
朝起き上がれずに休むことも増えました。
そんな時には輸血。体がしんどいな・・そんな時には輸血。
いつの間にか2週間に1回は輸血。
そう、私の体は輸血依存になっていました。あと半年で卒業をというある日
駅のホームで倒れ、病院に運ばれ先生から
「このままでは輸血無しでは生きられない、休学して骨髄移植をしよう」
家族全員が県外から集まり先生の話を聞き、先生からは
:今すぐにでも骨髄移植が必要
:家族全員の骨髄の型を調べたい
家族はその日のうちにすべての検査をしてくれました。
そして家族での話し合い・・
私の気持ちはただ一つ「卒業するまでは待ってほしい」
そう伝えると「自分で決めたならやり抜け。うになら絶対に大丈夫だから」
こうして卒業後は地元に帰り骨髄移植をすることになりました。
つづく