これには震えた。

「70近いジイさんの仕事か?」
とイヤミったらしく絶賛!

これは紛れも無くマニフェストだ!

CGが蔓延る現代アニメにおいての
アンチテーゼみたいなすかした宣言では無く!

最近死んだ漫画家の名言。
「これでイイのだ」
に似た清々しい宣言だ!

「セル画」という響きが益々いとおしくなる瞬間。

色鉛筆は別にあっても無くてもいいが、
これが日本の「下町の職人芸」と言わずして何といおう!

この方、良くも悪くもエンピツで紙に画を描いて生きてきた人。

ノスタルジックくそ食らえ!
俺たちは今を生きてるんだ!

そんな監督の演出が、爆発した音を聴いた感触。

この方、クレバーな男が故に、
「日本のアニメ界を背負う」
なんていうドン臭い考えを持たなかったからこそ、
己の道を歩めたんだ。

あの頭に焼きつくように創られた曲の詩にあるでしょ?

「ポ~ニョポ~ニョポニョさかなの子」と。

両親共に人間の形をしてるじゃん!って。

しかし、ここまで不条理だと誰も何も言わないでしょ?

とにかく、突き抜けて痛快なノリはみんなも感じたと思う。


内容の感想は誰かに任せたとして、
この監督の思想は抜きにして、

本作はずば抜けて面白い!

今年は映画の当たり年だ!
と思っちゃった。テヘ


おわり
先日、
突然ではありますが「ハプニング」について書かせて頂きました。

あれほど書いたにも関わらず、もう2つ3つ書き忘れたことがありましたが、
それは「過去の映画評」として、あれ以上何も語りますまい。

さて、性懲りも無く、本日も映画評。

「ノ~・カントリ~」。

DVDですみません。


日常生活において、「一緒にいて楽な人」の条件とは?

「1を知って、10を知る」ことのできる人です。

こちらが発した一言で・・・たった一言で、
(視線1つで、という場合もある)
その時の状況を判断して、察することのできる人のことです。

コーエン兄弟は、本作もそういう類の演出をしてると思った。

これはどういうことかというと、先日の「ハプニング」評でも書いたように、
「過保護な演出」とは一線を引く、観るものの心をくすぐる演出だっつうこと。
「うるさくない感じ」?っていうのかな・・・。
一々わざとらしい説明的なセリフが無い。

そんなニヤリとさせる本作のセリフや演出は、
過去のコーエン作品の流れを汲みつつ一種の快感すら覚えるほどに達した。



今から予告させて頂きます。
10年後のウィキペディアで「コーエン兄弟」について書かれている内容に、
「この兄弟の最高傑作はノー・カントリーといわれている」と書かれてるであろう!
つうか、僕が書く!

んま、オスカー取ってるからあり得る話ではあるが・・・。

万が一!今後の作品で「ノ~カントリ~」を上回るなんて事が起きようものなら!

起きようものなら!・・・

起きようものなら・・・

あ、勢いで書いたけど、特に何をするでもなく普通に観ます。


あと、最後に。
スゲエ殺し屋役の人(助演男優賞)の髪型がスゲエカッコ良かったので、機会があったら真似しようと思います!

あ、僕テンパだからできね~や。

おわり

↓このポッチ何?
この映画を観て思ったこと。

面白かった。

ドタバタ映画を期待してるのであれば、観なければ良い。
上っ面の恐怖を体験したいのであれば、観なければ良い。
シャマランの代名詞ともいえる「ドンデン返し」を期待してるのあれば、
観なければ良い。

シャマランの頭の中に巣食う「ヒッチコック」という呪縛を楽しむのが、本作の正しい鑑賞法のひとつではなかろうか?

シックな映像。

ゆったりとした情景の中に、突然現れる衝撃的な映像。

演出としての「音」に気を配っている感じ。

シンプルかつ、軸のぶれていない演出。

どれをとっても「ヒッチコック」の思想が見え隠れするではないか!


そこで、シャマラン。
かの天才数学者、ラマヌジャンを生んだこの人種の感覚には恐れ入った。
ちなみに「0」という概念を発明(発見?)したのもこの人種です。

このシャマラン。
まず評価すべきは、「脚本、監督、製作」を自らやっているとこ。

これはつまり、「成功も失敗も自分が受け入れます」という
潔い姿勢。
これでは「適当に映画を創る」ということはできません。
自らを「土俵際」にもっていく「覚悟」が必要になってくるわけですから。

この作品を否定する方の言い分に多いのはきっと、
全編を通して原因が「ハッキリ認識できない所」にあると思う。

はい!ここで本日のキーワード。


「過保護も程ほどにな!」


何でもかんでも事細かに説明してもらえると思うなよ!
ってこと。
テメ~の脳みそでしっかり考えろと言いたい!

本日のニュースでもあった。
ゴムサンダルみたいなやつで、今だ売れてる?!クロックス。

履いてたら爪がはがれた?

だったら靴下履けよ!

こんなことでいちいちゴチャゴチャ言ってんじゃね~よ。
と思う。

某ファースト・フードで買ったホットコーヒーが熱すぎて舌を火傷した。
そんで訴えた。

つうか、ホットなんだからフ~フ~してから飲めよ!

と言いたい。

どこまで過保護になりゃいいんだよ・・・。


さて、「ハプニング」に戻る。

本作の好感が持てる所に、「バリバリCGじゃない」ところも挙げられる。
古くは、ロバート・ゼメキスの「フォレスト・ガンプ」からある。

いわゆる「控えめCG」。

本作ようなCGの使い方が最もスマートだと、ずっと前から思っている。

更には、役者の「どアップ」の多さ。

これは役者自信の演技力が問われる。
その中でマーク・ウォルバーグ、ズーイー・デシャネルの表情は一級品である。

特に、ズーイーは「銀河ヒッチハイク・ガイド」から惚れているので、個人的には嬉しい。

ともかく!

ある種の映画には、作品の内容プラス己のイマジネーションでその作品自体を補完しなければいけないモノもあるのだ。

これがその作品。

あさはかな映画ファンのために書いておこう。

「頭を使いましょう」


おわり

追伸:本作の制作費と、じきに公開される「20世紀少年」の制作費は、ほぼ同じ。
地味ではあるが、しっかりと創られた映画であるのだ。

「巷では貧困の差が拡大している」という話を聞いたことがある。
その真偽のほどは判らないが、映画に関してはまさしく「真」だな。

「映画界ではイマジネーションの貧困の差が拡大している」


1:「くだらない映画」を創り、それを「面白い!」と観るグループ。

2:
「完成度の高い映画」を創り、それが理解できず「くだらない!」と観るグループ。

3:
「くだらない映画」を創り、それを「くだらない!」と観るグループ。

4:「完成度の高い映画」を創り、それを理解し「素晴らしい!」と観るグループ。

1と2のグループと3と4のグループの人口差が拡大しているというわけだ。


そもそも!
映画というのは、「娯楽の頂点」、「総合芸術」ということを忘れてる奴が多いんだよ。

1本の映画を長い時間を通して愛せる奴が少ないんだよ。

「それに相応しい映画が無いからだよ」と思った人。
アナタは間違いなく1と2のグループの人だ!

「DVDの普及により、安価に映画が手に入る」
「不正なダウンロードにより、映画が簡単に手に入る」

「こんな状況で映画を大事にする気持ちが生まれましょうか?」
みたいな分析には辟易とする。

今だって「愛すべき映画」はちょいちょいある!

本当に「良い作品」を大事にし、プロパガンダやらのためだけに作られた「ダメな作品」にはソッポを向かないといけないんだよ。

年々増えてる「骨抜き映画ファン」へ告ぐ。
または、「街角映画評論家」へ告ぐ。

「柔道は受け身から!映画評は審美眼から!」



で、「ハプニング」。

メル・ギブソンの監督として凄いところ。

「で?」っていうところ。

「パッション」の時もそうだった。
鬼気迫る描写には息を呑むがしかし!

終始「だからどうした」という気持ちにさせるのは何故?

誰かの人生であったり、歴史であったり・・・

その一片を切り取っただけの内容ってことにまず気付く。
特に近年の監督作である「パッション」と「アポカリプト」。

過去にあったと伝えられてる歴史を説得力のある映像で見せている。

なまじっかテ~マがシリアスなだけに真面目に受け取ろうとしてしまうが、
あくまでもリアルに描いたフィクションですから!

そういう意味で性質が悪い。

あたかも事実を描いたかのごとく・・・。

これらの作品の立ち位置が今までに無い感じがしました。

独特の切り口。

何かスタンスが違うんだよなぁ。

例えばオリバ~・スト~ンの「JFK」。
例えばデイヴィッド・フィンチャ~の「ゾディアック」。

いずれも実際にあった出来事を題材にしているという部分では同じ。

しかし、オリバ~・スト~ンやデイヴィッド・フィンチャ~の作品はそれを創る背景に
「私はこのように推理、あるいはこう解釈しています」
といった程度の主張みたいなものが感じ取れます。
そこで、「意義あり!」と思おうが「なるほど!」思おうが関係なくね。

で、メル・ギブソン。

この人がメガホンを取ると、過去の歴史を恐ろしいまでに信じきってる感が増す。
それをゴリ押しで「こうなんだよ!」といわれてる気がしてならない。
ということは、観てる側には選択の余地が全く無い。

「あぁ・・・そうなんですか・・・・」と思わされるだけ。
「この作品を観て考えさせられた」
なんてけして思えない。

結局、「で?」って思うしかない。

このスタンスの怖いところは、観る側が無意識に映画の内容を事実として信じてしまうように創られているところ。

ある種宗教的にすら思える・・・・・。

ハッ!
そういえばこの人、敬虔なクリスチャンだった!


ブッパッパ、ブッパッパ、ブッパッパ~(ドリフのオチの時の音)


いまだに2007年の話。

念願叶って遂にコミケに行って参りました。

時は12月31日、午後3時過ぎのビッグサイト。
3日間の最終日、つまりイベントが終わるギリギリの時間帯。

ここで我思う。

100人に1人、ずば抜けて可愛い女の子のコスプレ。

同人誌、大概の作品は実は何かお手本の絵があって、それに近づけるように描いている。
すなわち、目指してる絵図らが似てる印象。

そんな感じ。
ん~、つまらん。



以前、アキバのトレカを売ってる店に行った時の話。

「○○さんのトレカありますか?」の問いに帰ってきた言葉、

「お前に売るもんなんてない!帰れ!」
といきなり怒鳴られたことがある。

ビジュアル的に僕はそういう感じではないので、お店の人は茶化しに来たと思ってキレたのだろう。

こちらとしては、茶化す気なんて毛頭無いのに・・・。

その時は、さすがに理不尽な怒鳴りに僕もブチ切れた。

「こりゃあ、この人たち、どっか劣等感を感じてるな・・・・」
と思った瞬間だった。

僕から言わせれば、自意識過剰。
あるいは、勝手な思い込み。


さて、12月31日、この日は僕の友人が同人誌を出品しているのもあって、正直楽しみだった。


しかし!いかがなものだろう!

彼らの勝手な思い込みによって、僕の楽しい時間が一気に不愉快になる!

「ここは僕らのテリトリ~だ!入ってくるな!」みたいなオ~ラ。

僕ら、同じ人間じゃないのですか?
虚勢張るのもいい加減にしろよ!
だったらテメ~らでシコシコやってろよ!
ビッグサイトなんて使ってんじゃね~よ。

と思ったりもする・・・。


とはいえ、中にはフランクに対応してくれた人もいたことは事実。


その後、色々なブ~スを見て思う。

「この人たち、ずば抜けて面白いことやってるのに、たまたまカネにならないジャンルがゆえにこんな状況なんだろうな・・・」

僕は、世のオタク(本人は認めたがらないが・・・)の方々に言いたい!

「劣等感なんて感じてるんじゃね~よ!」
「テメ~の好きなことをやってるんだろ?周りなんてどうでもイイじゃね~か!」
「僕はこんな事考えてるんです」それでイイじゃね~か!

正直、腹が立った。
僕は差別されたんです。


こうして、僕の2007年は幕を閉じました。


これは人によっては理解しがたい話ではあるな・・・。
とはいいつつも、このことを言わずにはいられませんでした。


反論大歓迎!
そこんとこヨロシク!


追伸:次はコミティアだ!
映画的は何か面白くない一年だったな。

去年末にもさ、「アイ・アム・レジェンド」とか「ナショナル・トレジャーの2個目」とかを
劇場で観たけど、DVDでいいんですけど・・・みたいな感じ。
しかも観ても観なくてもいい感じ。

「アイ・アム・レジェンド」なんてさ後半、どうすりゃあんなにグダグダになんの?って。
「宇宙戦争」の後半のグダグダさに酷似。
起承転結の「転」で勢いが急ブレーキ。

(あ、そうそう。
この手の映画って音だよ、音。
映像で興奮してると思っちゃうんですが、実は効果音とか音楽でビビッたり興奮してるんだよ、きっと。)

「ナショナル・トレジャー」だってさ、「インディー・ジョーンズ」の壁は越えられない。
というか、宝探し系でいったら「ハムナプトラ」の壁さえ越えられてない。

この前のブルータスを読んで思った。(表紙がウッディ・アレンのやつ)
ピータ・グリーナウェイのインタビューが載ってるから買ったら2ページ・・・。
2ページって・・・・。
で、内容はといえば映画の形態が変わるみたいな話。

音楽についていえば、いくらテクノロジーが進化したところでライブは無くなりません。
紙媒体だって無くなりません。(すくなくとも僕らが生きてるうちは)
ひいては、劇場だって無くなりません。
映画館で観るに相応しい作品がある限りは!

ハッ!無いっ!
映画館で観るに相応しい映画が無いっ!
こりゃヤバイ!

昔々、どこかの誰かが言いました。

「ロックは死んだ」

そして現在。このままだったら映画も死んじゃうんじゃないの?
いいや、すでに死んでるのかも・・・。みんながそれに感づいていながら見てみぬフリしてるのか、
(正確には、見て見ぬフリしながら観てる・・・訳がわかんない)
はたまた、それすら感じることができないほど骨抜きにされてるのか?

これをたまたま読んだ方は、こうお思いでしょう。
「あんたの趣味に合わない映画ばっかりだったってことでしょ?ほっといてよ。こっちは楽しんでるんだから」

そりゃそうだ。

ただし!つまらん映画ばっか創ってるやつらの行為は犯罪だ。
そして、それを面白いって言ってカネ払うやつらも同罪だ。

とこう書くと、これをたまたま読んだ方は、こうお思いでしょう。
「なんじゃそりゃ?勝手に犯罪者扱いしやがって!一人で危機感を感じてんじゃないよ。お前は何様だ!」と。

そりゃそうだ。

そんな2007年。

中には収穫もあった。
デイヴィッド・フィンチャーとクリスファー・ノーラン。
けして派手ではないが、堅実かつコシのある秀作を送り出してくれた。

フィンチャーの「ゾディアック」は以前べた褒めしたから置いといて・・・

クリストファー・ノーランの「ザ・プレステージ」。

タイトル通りとはいかないが、かなり気に入った。

注)バットマン対X-メンだったからではない。


あ~あ、レコ屋行ってヒッチコックでも観ようっと。

「ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論」


控えめに書いてもこの本は僕にとって大カルチャーショックでした。


まずこれ!


何が嬉しかったって「メタ」って言葉を知らなかったあの頃。


「僕はバカです」って文はいわゆる対象言語。


「「僕はバカです」って言えちゃう僕ってホントにバカですね」

ってこれが対象言語を対象にしちゃってるからメタ言語。


これが分かっただけでスッキリした。


今まではこれはどうゆうことなんだ?って思ってるだけだった。


「僕はバカです」って文と「「僕はバカです」っていえちゃう僕ってホントにバカですね」っていう文は同じ視点じゃないよな・・・


後者は何か一個上の世界から見てる感じがするんだけど・・・。


こんな気持ちが度々あったんです。


それが解消されただけで生きていて楽チンになった。


何故ならこれらが混在してる実生活において、「なんじゃこりゃ?」みたいな違和感が僕にはあったからです。


そこでまず「メタ」の存在を教えてくれた方々に感謝せねばなるまい。


ゲーデル、タルスキー、本書の著者である高橋昌一郎、そして本書の存在を教えてくれたミスターgoldius。

心からセンキューベリマッチ!


「メタ」ってやつは日常生活においても、実に強力なツールになることを僕は知りました。


そして、本書の前半にしつこく書かれているパラドックスたち。


「僕は嘘つきです」


一見サラリと読めちゃうこの言葉。


凄く面白いじゃあないですか!

「僕は嘘つきです」って言葉を額面通りに受け入れたらどうなんのさ!

「はい、あなたは嘘つきですね」って思うでしょ。


っつうことはだよ!


嘘つきの言ってることを信じちゃったってことでしょ?

ここで破綻するんだ。


「僕は嘘つきです」ってことは、コイツの言ってることは嘘なんだから、つまりコイツは本当は正直者なんだろ?


そんな正直者のコイツが「僕は嘘つきです」って言ってんだから信じない訳にはいかない。コイツは嘘つきだ。


パラドックス!


こんなTシャツを作ろうと思った。

胸元には「背中に書いてあることは全くのウソです」

そんで、バックプリントには「胸元に書いてあることは全くのウソです」


はい!これでパラドックスの完成だ!


さてさて緊急報告!

身震いするほど感動的な一文を紹介させていただきます。


「不完全性定理が導いたのは、自然数論の無矛盾性を証明できないのではなく、自然数論の無矛盾性を自然数論内部で証明できないことである」


とここで僕のお気に入りの「メタ」を登場させる。


一個上の世界からこの一文を見てみる。


つまり自然数論の外部であったら証明できるということだ。


しかし、それでは先ほどのパラドックスと同じく、落ち着く事が永遠にできないということになる。まさに堂々巡り。


イメージとしては、クサヤってあるでしょ?あの臭くて美味しいやつ。

アレの臭いを封じ込めたいと思ったとする。

しかし破れた袋を破れた袋で被せて・・・・それを永遠に続けてもあの臭いはどこからか漏れてしまうんだ。


これが僕にとっての不完全性定理。


ということは、万物理論も夢また夢の話。


これは数学や論理学、ひいては哲学だけの世界じゃないぜ!


僕らが生きているこの実生活にも言える事なんだぜ!




ってこれって僕は不完全性定理を理解できてるんでせうか?






ってなことを映画のブログで僕は何故書いたのでしょうか?それは自分でもワカリマセン。


ほんの数秒で車がカッコイイロボットになっちまうなんて!

凄いじゃないか!

しかも強くて優しいときた!申し分なし!


今日は頭を使わないで観れる映画を・・・と思ってたから、そんな気分の時には本作はストライク間違いなし!


とにかく変形が複雑。


「超時空要塞マクロス」で育った僕にはバルキリーの変形で精一杯です。


ボンネットはロボットになった時どこにあるんだ?

とか確かめてる暇を与えてはくれません。


車に乗ってるときに変形されたら、中に乗ってる人間は圧死か?それとも粉砕骨折か?

なんてことを考えていようものなら、スクリーンでは全く別のシーンになってる。


それほど変形もストーリー展開も速い!

映画界のドラムンベースとは本作のことをいう。


この作品は全部が超特急です。「いちいち細かい所を気にかけてたら置いていかれますよ」ってことだな、これは・・・。


冒頭のカタールでのシーンでそれに気付いた僕。

よし!分かった!そんだったら脳みそを通さないで観てやろうじゃないか!

己の動体視力をフル稼働させてスクリーンに立ち向かうぜ!


おおっ!スクレじゃね~か!オメ~こんな所で何してんだよ。

逃げなきゃいけないはずだろ?


ロボットの目からビームが出てるぞ!おや?スクリーンではなく視界ギリギリの所でも何かが光ってる!スゲエ!いや、違う!

隣の席の女が携帯を開いてメールチェック的なことをしてるっ!



どうぞ、ご心配なく。

僕は既に脳みそを働かせておりません。

モラル云々なんてどうでもいいもんね~。

何だったら返信しても構いませんよ。急用かもしれないですしね。


おおっと!そうこうしてる間に黄色いロボットが冷やされてる!

捕まったってことか?

セクター7(だっけ?)め~。


とここで、肘掛けに置いておいたコーラに手を伸ばすが、


おや?変な姿勢で観てたもんだから、右腕が・・・・しびれて・・・・あれ?

「どうした?我が右腕よ!」



ギ~ガチャン、ウイ~ン、ガガガガガッシャ~ン


ここで遂に僕もトランスフォーム。



何だこの映画?


最初の何回かの変形で既に飽きてきてるんですけど。


映像に飽きたら、この手の映画は致命傷。


負のベクトルが増大中。


2分に1回のツッコミどころ。

ツッコむ所が多すぎてツッコむ気を失わせる。

そういう戦略か?


「まるで○○みたいだな。」(○○の中に色々当てはめて楽しむ)

(例:年金制度、隣の席の女、己の人生、等)


そんでさ、さっきからみんなちょいちょいトイレに行くんですけど・・・。

こんなにトイレに立つ人が多いなんてどうかしてるぜ。

ガラガラなのに10人以上は出て行ったんですけど・・・。

映像に酔って吐きに行ってるわけじゃないよね?

まさか・・・飽きたの?


過剰なまでの圧倒的映像、それに反比例する稚拙なストーリーテリング。


不気味なフランケンシュタイン的映画。


これを一流と呼ばれてるプロフェッショナルが創ってるからタチが悪い。


とにかく、この映画は狂ってる。つうか病んでる。


「みんなそれを分かってて楽しんでるんでしょう」と思うことにした。

そうです!

この作品以外にあり得ません。

何で今まで書いてなかったんだろ?


とにかく!思春期だった頃、初めて観た僕に思いっきり往復ビンタを食らわした歴史的名作。


体に染み付いているもんだから、正当な評論はまず無理。


この作品を生んだジョージ・A・ロメロ。彼の映画監督としてのキャリアは本作で終わっても良かったとすら思ってる。

だって、マイケル・ジャクソン好きでもマイケル・ジャクソンを生んだお母さんには興味は無いでしょ?みたいな感覚。

つまり、僕はこの作品は大好きだが、「ロメロが好き」となると話はまた違ってきますってこと。


とはいえ、彼の作品は全て観てるはず。

しかし本作だけは別格なんだよな・・・。

何でだろ?ダリオ・アルジェントのおかげ?そうでもないかな?


で、僕の推測。

「映画の神様が人類に創らせた数少ない超名作」としかいえない・・・。



「華氏911」を観てから本作を観ると、アメリカ社会へのアンチテーゼに思えてくる。


「バタリアン」を観てから本作を観ると、ゾンビ映画としての格の違いがあからさまに判る。「こりゃホンモノだ!」と。


「ポケモン」を観てから本作を観ると、寝つきがすこぶる悪くなる。しかも2~3日。



いったい本作の何が凄いっていうんだ?

よし!順を追って僕に説明さしてくれ。


まず、冒頭のテレビ局でのシーン。

ここでは世界中がゾンビだらけだってことを観る者に理解させるんだ。

限られたバジェットでいきなり規模をデカくさせるテクニックがキラリと光る。


(ちなみに、このシーンでカメオ出演してるロメロに馴染みがあるだけに、現在の彼にはビジュアル的に違和感を禁じえない)


続いて、アパートでのシーン。

既に実生活レベルにまでゾンビが浸透しているんだよ。とロメロはここで言っている。

前のテレビ局でのシーンがあるからこそ、ここには余計にリアリティーを感じることができる。つまり、この時点で観客は本作の世界に完全に入り込んでいる。はず。


主要キャラがここで出揃う。う~ん、無駄が無い!



そんで、やって来ました!ショッピング・モール。

この作品を観た者は、例外なく想像するはず。


「自分がショッピング・モールを独り占めにできたらどんなことしちゃおうかな~」


日頃、自らが押さえつけていた禁断の物欲を、イマジネーションでもって解放するのだ!


しかし、ここにはロメロの地雷が隠されている。


「な?日頃モラリスト気取ってるお前にも、異常なまでの物欲ってのが存在してるんだよ!」と。


そしてゾンビに噛まれた仲間。

アイツが病床で言うセリフ。


「やつらの仲間入りはご免だ」

「俺が蘇ったら撃て」

「よみがえらないように頑張る。必死になって頑張る・・・」


僕的にはグッとくるシーン。


このシーン、これはどういうことかというと・・・

死をもってしても、己の運命から逃げる事はできない、ということなんだ。


最初の死は魂が、次の死では肉体が。

某英国の有名なスパイ、ミスター・ボンドは正しかった!

人は2度死ななければ、この世界から逃れる事はできないのだ!


その後、トム・サビーニがギャングとして現われ状況をゴチャゴチャにしてくれる。


ここで「ヘリ坊や」ことスティーブンが我々の代弁をしてくれる。

今まで自分たちの物だったショッピング・モールが、ギャングに荒らされてるのを見て、

「やめろ、俺たちのものだ、俺たちの・・・」とつぶやく。

一度手に入れたものは、どんなもんでも手放す事が難しいんだね。



そんなこんなで、苦笑必至の音楽と共に、あの男が奮起してラストになだれ込む。


言っておくけど、本作のラストにはカタルシスは存在しない。

あるのは、「諦めにも似た安堵」あるいは、「選ぶ事のできない人生」みたいなもんのみ。




ってこれって、この作品を知らない人には何のこっちゃ分からん話だな・・・。


まいっか。