さて、今日はマイドラさんの記事をリブログです。
なにかと難癖つけて「この世」との違いを強調したがるJW教。
クリスマスやハロウィンはNG。
理由は「異教に由来する祭りだから」
イキョウってなんなんですか?
じゃあ聞きますが、キリスト教徒にとってユダヤ教は「異教」ではないんですか?
だって、初期クリスチャンは元祖ユダヤ教社会から「異教徒」として迫害されてたんと違いますかね?
だったら!
いわゆる「旧約聖書」は「異教の聖典」ってことになりませんかね?
・・・まあ、ならないですよねwww 言ってみただけです。
さて、今日は、最近やたらとJWが誕生日を強調して、
「絶対祝うんじゃねえぞゴルア」キャンペーンを展開している件です。
リブログした記事もそうですが、「誕生日を祝っちゃって、エホバから嫌われちゃう」とカレブが激落ち込みするビデオが出される予定のようです。
で、直近の「も塔」研究記事もこれです。
塔研20 7月号 1–32ページ「私が弱い時,私には力がある」
その15節です。
引用すると、
クラスメート,職場の同僚,エホバの証人ではない家族から侮辱されたり迫害されたりすることがありますか。
で、その説明の写真がこれ
私たちの信条について尋ねてくる人に,敬意を込めつつ親切に説明する
おい!統治体!!これのどこが迫害なんだ???
(確かにこの毒々しい色のケーキを食べるのは遠慮したいが・・・)
カルトやってていつも浮いているヤツだけど、パーティーに参加してもらえれば、もっと分かり合えるんじゃないか、そんな気遣いを示して、同僚が親切に誘っているだけだろ?
なんていい人たちなんだ!
信条について尋ねているんじゃなく、「ひとりだけ仲間外れしたらホントに可哀そう」だから誘ってるんだよ!わからんのか!
キャプションも
「敬意を込めつつ親切に」・・・って、「上から目線」なのはナゼ??
ここ最近、統治体はやたらと「誕生パーティー」をターゲットにしているが、何故なんだろう?
考えてみれば、JWのアイデンティティーってのは昔から「我々はキリスト教世界とは違う」というのがある。
まず、事の起こりは「地獄や煉獄はない」という教え。死者は無意識であると。
そして「三位一体」は間違っているとして、「父」と「子」は明確に別個の存在とした。
さて、ここまでは良かった(?)のだが、問題はその後。
イエスが処刑されたのは「一本の杭」だと主張しはじめ、「十字架」を用いるのは間違いとした。
そしてクリスマスは異教に由来するので、偽りの宗教行事であるとした。
で、イエスの誕生日を祝わない理由として、誕生日そのものが異教の祝いだとして退けた。
とにかく、「我々は偽りの宗教であるキリスト教世界とは違うのだよ、チミ」と言いたいわけだ。
そうやって、自分達こそが「真のクリスチャン」であり、唯一の正しい宗教であると。
それを明確にするには、数々の行事にあれこれ難癖つけて退け、「この世」との違いを明確にする必要がある。
手っ取り早いのが、信者に厳しい戒律を設けそれを守り抜くという「試練」を課することである。
そのような試練に耐え、「真理」(と思い込まされてるもの)を守り抜くことによって、自分達の「義」を確立した気にさせる。
これって、イエスが「蛇よマムシらの子孫よ」と厳しく断罪された書士やパリサイ人の実践していたやり方、そのまんまです。
インターネットにより、信者たちの情報リテラシーが劇的に向上した昨今、いよいよJW教理の「ボロ」が目立ってきました。
どんどん捨てられる以前の「光」、何度も終わりを予言しながら外す、1914年からの「終わりの日」世代も風前の灯・・・
だからなんでしょう、聖書預言の解釈についても、以前なら「・・・なのです」「確かに・・・間違いありません」という、強い言い回しだったのが、最近のも塔などでは「かもしれません」「推察されます」というボヤーっとした言い回しを多用している。
でも、この「誕生日」はなんとか聖書の記述(ファラオとヘロデ大王)を使えば、ダメってことに仕立てあげることが出来る教理のひとつです。
これを使わない手は無いでしょう。
JWは真の宗教。他の間違った宗教や世の人はサタンに影響されているので祝うかもしれない「誕生日を祝う」なんて、言語道断、ってわけですね。
これから、このような「つまらない」戒律をやたらと全面に出して「踏み絵」にし、ちょっとでもおかしな傾向のあるヤツをドンドン見つけ出して矯正してくるでしょうね。
そのまえにお前らの体型を矯正しろ、統治体。高級ウイスキーなんか飲んでる場合じゃないぞ!!