「神観」ってのは人それぞれなんじゃないでしょうか。
いる、いない、わかる、わからない・・・
わかるというのが宗教なんだろうが、それでも無数の見方がある。
宗教それぞれ、人それぞれ。
でもJWは、人それぞれって感覚は許されず、全員が同じ「神観」で統一されます。
これってどうなんでしょうね?
わたしがJW、特に統治体に対していつも感じるのは、例えば「も塔」などで「・・・しているのを見て、エホバはとても喜んでおられます。」的な言い回し。
おいおい、断言しているが、おまえ本当に神の気持ちが手に取るように分かるっていうのか?
そして、大抵「・・・・することを神は望んでおられます」というが、実はこれ「・・・・しなさいというのが組織の指示です」と全く同意義であるということ。
つまりは、神にかこつけて、自分たちの要求を押し付けようとしている。
神を勝手に名乗っているに等しい。冒涜じゃないのか?
ということで、今日は神の話を少々。
例によって聖書の神に信仰をお持ちの方は不快に思われるかも知れないのでご注意を。
前回登場した「悪魔」は、神の敵対者とされている。
で、考えたいのは、「敵」っていったい何なんだ、ってこと。
例えば、戦争で闘う相手。ケンカの相手。ライバル。
共通するのは何かといえば、「力が拮抗している相手」ってこと。
つまり、相手が弱すぎたりしたら、それはもう「敵」なんかじゃない。単なるお遊び。
よく「赤子の手をひねるようなもの」という言い回しがあるが、赤ちゃんを敵と見なす大人などいないはず。
そんな見方をするヤツ、バカかお前、っていわれちゃう。
ここで改めて悪魔のことを考えてみるのだが、彼は天使のひとりだから、当然神に造ってもらった側。
圧倒的に
神>>>>>>>>天使
の力関係なのは当たり前である。
悪魔は神の「敵」なんかじゃないはず。まさに赤子。
てことは、神が弱いフリをしているだけで、神の自作自演の一大エンターテイメントか?この世の中って。
聖書読んでいる人、特にJWの皆さん、この矛盾に気が付かないのかな?
不思議に思わないんだろうか。
つづく。