タイトル通りこの世界は我々が認識している世界では無く、我々が娯楽として行うゲームのような空間であるというものである。
まず始めに私は精神障害者や発達障害者などではないことを述べておく。 なぜこのような中学生の妄想のようなことを書こうと思ったかというと、理由はただ一つ。私が信じているからである笑
皆さんも一度は無いだろうか? 「自分を取り巻く環境全てが何らかのプログラムによって作動してるんじゃないかなぁ」なとどいった中二病的妄想をしたことが。 このブログを見てくださった方は是非ともその気持ちを取り戻して欲しい笑
最初に、私がこの世界がシュミレーションであると思う考えから拡げていこう。
私はあるニュースを見ていたときにiphoneが発売されるというのをたまたま見た。その1ヶ月後新作のゲームが発売された。 そして現在ではヴァーチャル・リアリティーの普及が進んでいる。このヴァーチャル・リアリティーのゲームをプレイした方ならご存知だと思うが、我々が認識している世界と遜色はない
つまりは、我々が現在そのシュミレーションの中の情報の一つであろうが、本当の地球という惑星に住んでいる人間であろうが、我々にはその区別がつかないのである。 大多数の人間はこれは詭弁だと思うだろうが私にとっては変えられない事実であり、概念であり、哲学である。 書きたいことは全て書いたので今日はここでおさらばだ!アデュー!
まず始めに私は精神障害者や発達障害者などではないことを述べておく。 なぜこのような中学生の妄想のようなことを書こうと思ったかというと、理由はただ一つ。私が信じているからである笑
皆さんも一度は無いだろうか? 「自分を取り巻く環境全てが何らかのプログラムによって作動してるんじゃないかなぁ」なとどいった中二病的妄想をしたことが。 このブログを見てくださった方は是非ともその気持ちを取り戻して欲しい笑
最初に、私がこの世界がシュミレーションであると思う考えから拡げていこう。
私はあるニュースを見ていたときにiphoneが発売されるというのをたまたま見た。その1ヶ月後新作のゲームが発売された。 そして現在ではヴァーチャル・リアリティーの普及が進んでいる。このヴァーチャル・リアリティーのゲームをプレイした方ならご存知だと思うが、我々が認識している世界と遜色はない
つまりは、我々が現在そのシュミレーションの中の情報の一つであろうが、本当の地球という惑星に住んでいる人間であろうが、我々にはその区別がつかないのである。 大多数の人間はこれは詭弁だと思うだろうが私にとっては変えられない事実であり、概念であり、哲学である。 書きたいことは全て書いたので今日はここでおさらばだ!アデュー!