AIがおすすめしてくれたので、ブルーノ・ラトゥール『虚構の「近代」』を読み始めてみました。
まだ最初の部分だけですが(;^_^A
ラトゥールは科学技術社会論の有名な人で、私としてはちょっと怪しいんじゃないかと正直思ってました。
彼は『知の欺瞞』という本で批判されていた人の一人なんですよね。
科学用語を変な方法でふりかざしているようなイメージがありまして・・
ただ自分で読んでみないといけない。
ということでこの『虚構の「近代」』は私の研究分野的にも必読だそうでして(AIいわく)、
読んでみるとこれがなかなか、思考のベースを揺さぶる凄い本であることは確かだな、と思いました。
私なりに理解した範囲で私なりの言い方に置き換えますが、近代においてなされてきた自然のコントロール(純化)は、
実際には個別具体的なエピソード(ボイルの実験など)によってなされており、それ自体が個別のものなのだが
自然をコントロールできるという見方を与えた、とラトゥールは言います。
しかしそれはある意味で都合よくその場その場で言い換えられる場当たり的な側面もあるといいます。
近代はその意味で「無敵」であり反論したら何かしら言い返されるものである、と。
このプロセスをラトゥールは社会科学にも起こっているととらえています。
彼は自身の見方は科学に対する人類学的な見方だと考えているようです。
こうした場当たり的性格を持つが統一的な成功を目指している近代も、遺伝子とか気候問題とかの
これまでになかった問題によってその立場が揺らいでいる、とのこと。
ラトゥールは「ハイブリッドの増殖」という表現をしていますが、人間と自然の接点において個別に成立している
関係性を突き進むだけでは問題があり、その成立前提を見えなくさせている点に近代の特徴があるため、
彼曰く、人類学的な分析が必要だそうです。
ということで粗雑すぎる冒頭部のまとめですが、私なりに思ったことをいくつか。
・まず視点としては非常に面白いのは確かなのですが、基本的には科学的研究も、社会における資本主義経済社会も
いまや徹底的に分業制なのであって
分業制というテーマでもっと分析したらよかったんじゃないか、というのは素朴な疑問。
ラトゥールは「ネットワーク」とか「アクター」という、やや抽象度を高めた言い方をしており、
それは彼の理論からきているのだと思いますが
もっと普通の言葉で言ってもいいのでは・・と思いました。
もっとも彼の理論を私が勉強不足なのだとは思いますが。
・他方で学際的な研究というのは昨今、ふつうに行われているし、ある意味で学際的だといわれることすら
減ってきているほどにそうした従来の学術の枠組みを横断する研究は普通になりつつあるとも思いますので、
わりとテーマとしては古いのかなという思いもしました。
近代というものの幻想って今の人たちさほど無いと思うんですよね。
研究でなくて経済社会についていえば、高度経済成長期にはあったのかもしれませんが・・・
名だたる大企業も普通に倒産するような時代です。
これだけ変化が激しい時代ですので、みんなで追いかける統一的な夢のようなものは今、ほとんど無いですね。
テーマ設定もやはり少し前の本なのかなって気がしました。
それにしてもラトゥールというかこの手のフランス社会科学系の筆致は、独特ですよね。
学術書ほどの硬さはないけどなんだか独特の思想家的なニュアンスもあり、
わかるようでわからない、けどなんとなく言いたいことは伝わるみたいな(;^ω^)
これだけの思想内容を構成し、いろんな表現で多面的に語れるというのには圧倒されることは確かです。