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背負うということ




背負っている物の大小が違う者が、勘違いをして、
「自分はやっている」とか、
「自分は出来る」とか、
「あの人は分かっていない」とか、
「俺ならこうする」とか…

人をたてない
背負おうとはしない
都合のいい時だけ接近する
都合が悪けりゃ沈黙を保つ
都合が悪けりゃ態度に出る


こういう人は、何をやっても長続きはしないし、トップにも立てない


長続きがしないとか、覚悟が無いとか、都合が悪けりゃ聞いてないとか、知らないとか…


何かを背負っているとか、本気度の差であるとか、器の大小であるとか、様々なものがありますが

結局は、spiritの違いです


立場が違えど、spiritに温度差がある以上、その差は絶対に埋まらないし、その人を理解出来たり、超えることは絶対に有り得ない



人を簡単に否定したり、素直に謙虚に出来ない者が、物事を学んだり、組織の中の一人というものの本質を理解出来るはずがない


例えば、厳しい環境下で、下っ端が上司よりも先に帰りますか?また帰れますか?


下っ端の尻拭いは、上司が尻拭いをしているものです


貴方の力でビジネスが成功したことは、貴方の力だけですか?


これは、組織や会社や、その中に居る先人者の看板があるからこそ、成功出来る訳であり、決して貴方の力だけではありません


しかしながら、0ではありません


貴方の力があるからこそ、その看板を上手く利用しながらプラスの力になるのです


そして、貴方が看板となる日がきたなら


貴方は、その看板を背負うことが出来ますか?


看板を維持するべく人脈や、支えとなる理解者や、協力者や、絶対に外せない方々から支持を得ることが出来ますか?


働き方改革というものが現代の社会ではクローズアップされていますが、こういった本質を知らない雇用者は、ただ単に働き方改革を盾に好き勝手な解釈で働かれても、その人やその環境に未来はありませんよ



結局は、上司が早く帰ることで、社員も早く帰れるようになるなんて、年数を重ねないと理解出来ないものです


しかしながら、正社員や雇用者の勤務期間が短い人は、本質を掴めないまま、また同じことを繰り返すのです


少し慣れてくれば、自分の言い分のみを主張しようとする


甘いです


貴方は、絶対に背負っている人を超えることは有り得ません


むしろ、給料泥棒です



これが、社会というものです


残念ながら、社会は都合のいい社会を作り出そうとしています


そして、その創り出された社会を都合のいい解釈で利用しようとしています


無から一人で起業した時、改めて一人で背負う厳しさを知るかも知れませんが、世代交代や暖簾分けのような、看板を盾に役職を貰った者は、その本質に気付かなければ、残念ながら出資者や協力者は離れていくでしょう


人のために、組織のために、責任を任され背負い、自立して行動や仕事が出来る人がどれだけこの世に居るのでしょうか?


ブラックは論外として、雇用者が雇用主の思いを理解出来ない限り、雇用者の発展はありません


雇用主が行き過ぎていれば、別の話ですが…


それでも大半の雇用主は、苦労しているものですね


自戒を込めて…



普遍




何度も何度も述べてきたことですが、残念ながら時代の流れですかね


自分が上手くいかないことや、都合の悪いことを、ある他人の責任にしながら組織まで否定する


事情聴取してみれば、自分の都合の悪いことは伝えず、言いたいことだけは主張する


否定に引き合いに出された者にも当然非が多々あるから、そういった引き合いに多々出されたり、その者や組織や環境まで膨れていく


お互い様のことであったり、全く非がない場合でもそのような引き合いに出される


確かに、そういった経緯があったからこその引き合い対象とされ続ける要因かもしれせん


では、自分の非は認めないのだろうか?


全て自分の都合のいいような求め方はどうなのだろうか?


例えば、ライアーゲーム


事実、面白いし、考えさせられることも多い


裏切る者が居なければ、皆んなが幸せになれる


しかし、皆んなの利益よりも自分の利益のみを優先すれば、当然裏切ることを選択する


ビジネスならばそうなのかもしれないが、慈善事業でもないコミニティーや組織や純粋な団体の場で、皆んなが協力したり理解すれば起こりえない現象も、自分の都合のいい解釈で、都合のいい目先の利益を優先することで数年後のことまで考えていない為に、先々で失敗し、そして、また同じことを新たな環境を否定して責任を押し付けることを繰り返す


人それぞれ価値観は違うものですが、結局あの時に早まった結果、判断の誤りに改めて気付く


その時には過去は戻れない…


人生、先走っても、その時の現状や能力によって成功も失敗もあります


早熟型や晩熟型もそうですし、ウサギとカメというお伽話もいい例えかもしれません


人生は長いか短いかは、人それぞれの運命であり、明日や数日後や数年後は判らないものです


しかし、築き上げることは、今を気付くことから始まります


利益というのは、単なるギャンブルではなく、気付き築き上げる方が結局は長く続き得るものだと思います



一攫千金狙いも、一時的なものがほとんどであり、その中で選ばれ成功したほんの1%の成功者は単なる運でもなく本質を見抜き、努力(学ぶ努力)を重ねた者が成功者として勝ち残っている訳で、残りの者はまた振り出しに戻るものです



そして、都合のいい理由をつけて裏切ったり、先走ったりしたことで、その時の上辺の偽の感謝を装い、本当の感謝の念を抱かずに目先の利益に先走った人が、都合のいい情報源や繋がりの維持を申し出ても、裏切った事実は変わらず、結局はその人の純粋な思いや行動を理解してもらえていなければ、決して与えてはもらえないと思います


人は人が評価する訳で、決してコンピュータが評価するのではありません


だからこそ、そこには感情があり、それ相当の繋がりしか芽生えない



信じていた人に裏切られる程、残念なものはありません


しかし、信じて着いてきてくれた人には必ず裏切らない利益を与えようとしてくれるものです



残念ながら、義理や人情論は古いとされがちですが、最後はそこに戻ります

風評被害とは





風評被害



無責任な発言は、一人歩きし、回り回って大元にバレる


そしてその発端は誰なのかも大方見当がつき、やっぱりそうなのかと落胆すらする



しかしながら張本人は、そんなことすら何とも思ってはいない


何故なら自分のことしか考えてはいないからであり、内輪のグループを囲うことにより無責任な肯定を主張することにより最低な群を成そうとする



さて、人を否定しようとするある人物は、主観のみで悪口を発し続け、風評被害を続けていく


また、理解者や協力者を装って、実は偽善者の大魔王のような人が、風評被害を続けていく


バレてるのにね



また、バレるのにね



残念でならないですが、そんな人をどうすれば信用出来ると思いますか?



何をどう言い訳しても絶対に許されない


もしその偽善者が、逆風評被害を受けることになれば、きっと文句を言うのだろうね


都合が悪けりゃ環境や人の責任にしてきた人


倍返しで、しっぺ返しを喰らうでしょうね


不満を発してきた人は、愛想もない対応しか出来なく、いい加減気付いて欲しいものです


やっぱり、裏切るより裏切られる方がまだマシだと思います


何度も何度も言いますが、人に迷惑は掛けませんから…