久々に書こうと思い立ちました。
私の中にある、思いを吐き出すため。
これはそんなブログです。
なぜ「生きる」のか。
思想とかかっこいいことを言っていますが、私は「生きる」という意味を今もなお、追い続けている一人です
誰が為に、何が為に人は生きるのか。
それを追い求め、生きてきました。
ある日、そんなことばかり考えていたら、ブッタの思想にいきつきました。
それは、私にとって求めていた答えが待っていました。
簡単に言うと、生きる意味はない。それだけです。
めぐりめぐる時の流れになすがまま、抗うことをせず、そのままの自分を愛し、すべてを愛し、生きろと。
ずっと生きる意味を探してきた私にとって、それは耐え難い答えのようにもみてとれるのですが、私が始めに思ったこと
それは、救いでした。
私は囚われていたのです。生きるという事に
そしてブッタの教えは、巡り廻るもの。
もし、個々の生命は一つであろうとも、私たち、人間という存在が立たれない限り、永遠です。
そこで、宇宙と私たち生命の繋がりを考えます。
人は死に、その残骸は違う生命の糧になり、巡り廻って人々の糧になる。
そして新たな命を生み、次につなげている。
変わらないめぐる世界。
宇宙も同じ、いつの日か太陽が死に、大爆発を起こし、私たちの地球もまた死にゆくでしょう。
それでも大いなる時をかけて、私たちの元素たるものが、宇宙をめぐり、そしていつか新しい太陽系を形作る日がくる。
それもまた、巡るものです。
ここで来るのが、私個人の見解でもある、イデアの存在。
イデアのことを書いたブログは下記です↓
http://ameblo.jp/ada-avalon/entry-12030058573.html
イデアは私の中で、魂の集まる場所です。
イデアは、意思の世界をつなぎ巡らせるものだとしたら
ブッタはめぐると言いました。それは肉体的なものだけでしょうか
本当に、人に魂というものはないのでしょうか。
私は問います。
私たち生命の中で変化し続けるものは何か。
めぐる中でも、変わっていくものは何か
それは進化だと思うのです。
思想や思いも同じ、学ぶ力です。
世の中の大学など、テストなども変わっていき、常に難しくなっていきます。
今や国立の大学と院を卒業した人でさえ、そこまで大手の会社には務めることが難しい世界に直面しています。
巡り廻るもの、だが進化だけは止まることがない様にも私は感じています。
それを巡らせているものが魂の集まる場所、イデアだとしたら。
いつか地球が滅ぶ時、新たな星へと再生するとき
生命を芽生えさせる力がイデア(私たちの魂)であるとしたら。
再び私たちはめぐり、そして今よりも進化した生命であるでしょう
私たちもまた、イデアによって多くの思想をもって生まれてきた。
ここの経験をもちかえり、イデアの一部となって蓄積し、また新たな生命へと生まれ変わる。
そんな考えもあるのではないかなと思うのです。
という言うか、私の願いなのかもしれませんね
私は、「生きる意味」というよりも、「意思を持った意味」を知りたいのかもしりません。
最後に私はブッタに感銘を受けましたが、それでも私は抗い続けたいと思います。
答えは何事も一つではなく、真実もまたないものだと思うから。
私たちは無限です。
巡り廻り、命は有限でありながらも無限なのです。
それを証明できなくとも、
大切にしていきたい、そして願い続けたいと思います。