明石焼きの思い出 | 鳥飼和一郎のブログ

鳥飼和一郎のブログ

親しい知人のブログを読んで新しい世界を知りました。
この世に何かを残す事に今トキメキを感じます。
偶然とはミラクルなものです。ボランティア、音楽、絵、友人達、毎日が生きがい元気です。

8月にはいってから 偶然に数回明石焼きを食べるチヤンス
が訪れた。商店街、スーパーマーケット、神社に行くと見つ
けてしまう。
胃袋が見つけるのか、目が探すのかが分からないが、
いずれの店も味は美味しい。
裏庭のある店や窓ごしの外の景色が緑いっぱいの
テーブルは、味をよりいっそう美味しくさせる。

若い頃はたしか神戸とか明石の商店街しかなかったような
気がするが、その頃からスープに浸して食べる柔らかい、
風味のある味はすてがたいおやつであった。

気になるのはいつも蛸の大きさと熱さかげんである。たこ
の大きさはそこそこだと満足する。行儀が悪く、おおきすぎ
て玉からはみだすのは感心しない。

熱さかげんには少し問題がある。あわててガブット口の中に
放り込むととんでもない事になる。猫があわてるのと同じよう
になって、他のお客に笑われることもある。ゆつくり慌てない
のがノウハウである。

30年前に神戸の店にラオスの男性(戦争で難民となって
カナダ政府に保護された)を連れていったことがあった。

彼は目を輝かしてうまそうに食べてタコよりネギに興味をも
ち、目の前の焼いてるプレートを覗き込んで写真を撮ったり、
これは何だとしきりに質問した。連れていった私はきまりが
わるくなった。

友人2人と私が明石に行った時はやけど覚悟で口にほりこ
んだ。
先に食べ終わった者が体を乗り出して私の玉を取にくるので、
スピードが大切なのでやむをえないと思い、おもいきったが幸
いなんとか大事にはいたらなかった。彼らは人よりたくさん食
べるのが礼儀とかんちがいしている。

初めて食べたのはたしか会社の旅行で有馬温泉に行った40
年前だったと記憶しているが、あの驚きと美味さは忘れがたい。

その当時は、卵やきと言っていたようなあまり確かでない記憶
がある。偶然のきっかけで昔を思い出し今年は明石焼を探して
ウロウロする年になりそうである。