『イジメ』の問題は私が小説を書く上での潜在する動機であり、圧倒的なモチベーションの土台を担っていますね。これが論説となると、『女優論』ですねやはり。ブログを始めた当初からのお付き合いの方は御存知の通りです。何も変わっていませんよ。どうもあのFacebookからの突然のアクセスが気になってなりません。次第に貴女御本人ではないかと思えて来た。だって悪戯だと仮定した時、御本人しか知り得ないはずの、当て字にせよ読みが貴女の名前と一致するなんて、しかもそれをピンポイントで私にヒットさせるなんて、貴女が関与しなければこれはこれで不可能に近い奇跡的な確率の事象だ。あり得ないんですよ貴女以外に。でもすでに書いているように、貴女の方から私にアクセスするなんて非常に考えにくい。うーん、まぁこれは当事者でなければ酌めない心情に違いないでしょうが、貴女は私を軽蔑しているはずだ。そこは疑う余地がない。私は単なる友人・知人としての距離と立場を守り続けなければならないストレスに負けて、次第に生活を破綻させて行った人間です。この世で一番欲しいものが目の前にあるが、許されるのは人目を憚りながらチラチラ見ることだけで、存分にジッと見つめることさえ儘ならない環境。そんな日常を何年も強いられた。そして何年目かに私は壊れ始めた。そして貴女が存在している環境から私は落ちこぼれて行った。私は貴女の住む街を去った。去らざるを得なくしたんです。内心、もう長くは生きられないだろうと思っていた。だが予想に反して私は生かされた。決して生きることに前向きではなかったのに、危機の度に何かが私を死ねなくした。結果、今これを貴女に書いている。Iさん、私たちは会うべき時期に来たのではないだろうか❓ ふとそんな気がして来ましたが、得手勝手な、如何にも虫の良さげな感覚ではありましょうな。フム。私もFacebookで、あの貴女かもしれないアクセス者に今度はこちらからアクセスを求めますよ。次にまたあの通信があったなら、今度は逃さず機敏に反応しようと思いますしね。そう、もう全てのカードは切られたのです。私の手には1枚残ったきりだ。それももう出し尽くして、尾羽討ち枯らしたと思っていたこの時に思いもしなかった、というか手の中にあった事さえ失念していたその1枚である。これぞ人生の不思議か...。では再び、貴女を探し求めましょう。この広い電子世界、ネット宇宙を、何処までも何処までも飛んで飛んで、力尽きるまで飛び回りましょう。それはなんと、恋に生きた老ピエロに相応しい、納得のラストステージではあるまいか❗ 私は道化であるが、だからこそこの恋を貫く。