最近、アッ!って思うことがあって、
ちょっとした気づきだった。
ウチは兼業で農家をやってるんだけど、
知り合いに、兼業農家で、
会社員と両立してるから、農業の時間を取るのが難しく、
いつも旦那さんは忙しそうにしてる。奥さんはたまに手伝う程度。
という方がいて、
そんな家を見てて、
農家でやってきたウチの祖母なんかは、
農家はみんなで手伝うのが当然という考えなので、
手伝ってやればいいのにね~、どうして手伝わないんだろ?
という感じだったんだ。
私としては、手伝わなきゃいけないとも思わないし、
やり方も人それぞれだから、
別にそこまで咎めるようなことでも
ないかな~と思っていたのよね。
先日もそんな話題になって、
そんなにバタバタ忙しいんなら、
旦那さんも奥さん使えばいいのにねぇ。
って自分の口から出てて、
母に、手伝ってもらえば、でしょ?
って言われて、
自分の前提に気づいたんだ。
あ、そうだったな。
農家で、家ごとは皆でするのが当然。
使われること前提
手伝いはやらなきゃいけないものという価値観が
自分の中にも無意識に出来上がってたなぁって。
手伝ってもらえば、だと2人で協力してやるイメージだけど、
使えば、だと、一般に、上のものから下のものへの言葉だと思うし、
男性は主、女性はそれに従う、補佐するもの
というイメージ。
普段、~を使えばって普通に聞いてるから
あんまり違和感なかったけど、
無意識に、聞いてる言葉から、
そういう価値観に染まっていたな。
二人で協力して一緒にやるって感覚じゃ
なかったんだなって気づいた。
全然気づかなかったけど、
自分の前提ちょっとズレてきたぞ
と気づかされた出来事でした。