前者は他人ベース、後者は自分ベースに  表現するのがデフォルトです

 

 

先日行ってきた、前者後者ユニバーシティ自己表現編

レポート②

 

前者後者論が好きな理由を詰め込んだ

レポ①はこちら→数年越しに、前者の”推し”の生態を解明しに行ってきた ~前者後者ユニバーシティ自己表現編①~

          

 

 

 

 

自己表現の違いについての説明のあと、

 

いよいよ本題で、

講座主催者の向江さんが

自己と表現、他者との関係性について説明してくれた

 

 

そもそも、前者と後者は自分の捉え方が違ってて、

 

前者の捉え方 → 自分は世界の中のひとりに過ぎない

     世界が先にある→世界の中に自分がある      

     世界は舞台、広く、等しく認識してる

 

 

後者の捉え方 → 自分は自分の世界の中心 

     自分があって、世界がある

     自分が見ない限り、世界は存在しない

     だから自分の関心に応じて世界に濃淡がある。

 

 

 

捉え方が真逆なので、

自己表現も違う

 

 

前者の表現→”他者”に対してのモノ

常に他人を意識して、見られている前提

・・・他者を観察した結果を表現、他者に伝えるためにするもの

 

 

 

後者の表現→”自分”に対してのモノ

自分の見方を他人に示すもの 自分から出てきたものの結果

 

 

 

情報処理の仕方の違い

 

 

前者の情報処理 →概念でカテゴリー分けしている 

(ex リンゴ→ 食べ物、果物、リンゴ 丸くて、赤くて、甘い、木に実る果物)

 リンゴの定義(一般的にリンゴとはこういうもの)が頭の中にある?

    

思考に広がりがある、他者とのつながりを意識、普通が分かる、一般性に強い

 

 

後者の情報処理 →生データベース 現物にラベルがつく  

    個別具体的、このリンゴと あのリンゴは違うもの

(ex リンゴ → ~さんからお土産にもらった 赤い、美味しそうな、リンゴ)        

 

思考に深さがあるので、普遍や本質に強い

 

 

大枠だけでもこんなに違うんで、

自己表現が同じになるわけない! って力説されてました。

 

 

私、前者後者って結構ふわっと捉えがちで、

中身の詳しいことは抜けてたとこがあったけど、

こんなに違ってて、違いができないはずないよな。

 

 

そういうのを改めて感じられた。

前者の人の表現がめっちゃ伝わるのは

こういうわけなんだな~って

 

父親(前者?)に、ずーっと普通こうだろ!って

小言言われてたのは、この違いもあるのかな、なんて、

感じながら聞いてました。