じんさんへの怒りを掘ってったら、突き当たったこと。

 

小さい頃、というか今でも、

私の感情は父親の理論で分解されて、叩きのめされる。

反論の余地すらない。これはこうで、それはそうなんだよ。って。

 

 

 

反抗したいのに、反抗もできない。

親が暴力をふるうとか、明らかに悪ならまだ自分を正義と思って

反抗することもできたろうけど。それすらできないこの感じ。

 

何を言っても、相手のほうが一枚上手で、丸め込まれてしまうこの感じ。

 

御託はいいから分かって欲しかったのに、共感して欲しかったのに、、、

私の気持ちを受け止めて、私を見てほしかったのに。

 

 

 

それが、相談者の気持ちを理論で分解してる仁さんに投影される。

共感してないとなおさら。

 

私の気持ちはどうでもいいの?

ってなる。

 

絶対踏み込まれるの分かってるから、

見たくもない、準備もできてない自分の気持ちをこじ開けられて、真っ当な理論でずたずたに裂かれるのがわかってるから、だから言わない、絶対に言いたくない。

 

愛といえば愛、これ以上苦しまないようにする大きな愛だけど、

もうちょっとどうにかなんないの? ってなる。

 

ふりでもいいから、共感してほしかったよ。

真顔で聞かれるなんて、トラウマものだよ。

理論的にはわかるけど恐怖で固まっちゃって言葉が出てこない。拒絶されてる、責められてると思っちゃうから。

でも今私、感情出して聞かれるの苦手なんだよな、なんか嘘っぽくて。

 

 

 

ね、それがさ、私の場合、理性と感情に分かれたんだ。

 

父親を理解するため、自分に踏み込んで来られないようにするために理性を発達させ、

感情は亡きものにして、置き去り。

 

 

そしたら感情が拗ねちゃって、絶対口きいてやるもんか、ってやってる。

よくできてるもんだよなぁ。

 

 

説明を聞くのは好きだけど、それでは癒されないのは、たぶんこういうわけなんだろうな。

だって、答えありきで見抜くんじゃなく、自分の話をちゃんと興味を持って聴いてくれて、

分からないながらも自分と一緒に探ってくれる人のときに一番感情が喜んでるもん。

ほんっとに嬉しくて、体がふわ~って緩んだんだもん。

 

 

 

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